会員の輪

2008年

≪人間ドッグ≫

齊藤 裕久(平13経)

初めに、簡単ではありますが、自己紹介させていただきます。

慶應義塾には大学からの入学で、大学1・2年生の時には、アレックステニスアソシエーションというテニスサークルに所属し、中学・高校時代に兵庫県、関西エリアでそこそこの戦績を残していたこともあり、1年生からレギュラーとして試合に出させて頂いておりましたが、個人的にはテニスを十二分に楽しんだ記憶はあるのですが、チームの勝利に常に貢献できていたかどうかは定かではありません。また、3・4年生の時代には、鳥居泰彦ゼミに所属し、近年稀に見る学年だとのご指摘を頂戴し、3年生の三田祭の頃まで、「礼儀作法とは」・「慶応義塾とは」ということに関してご指導いただき、その基礎が出来上がって初めて、経済学部生として経済学に身を置く事となり、充実した2年間を過ごすことが出来ました。

大学卒業後は鹿島建設に入社し、7年8ヶ月の間に、香川県・愛媛県・神奈川県と3県の営業所勤務に従事し、様々な経験をさせていただきました。そして、昨年2007年の11月末日をもって鹿島建設を退社し、12年振りに関西に舞い戻り、現在のサイモ技研で父親の下、修行しているところでございます。

さて、ようやく標題の人間ドッグの話へと繋がるのですが、昨年の11月末に退社の運びとなったのですが、遡ること2ヶ月。送別会が9月末からスタートし、また関西に戻り、久々に外食ではなく、実家で母親の手料理や関西の懐かしいお店を訪れたりしながら、食事を美味しく楽しく頂いている内に、75キロだった体重が、今年の3月末には84.7キロという未だかつて目にしたことのない数字を経験することとなりました。

会社が変わったことにより、人間ドッグを5月には受診するように言われていたのですが、当時の体重では検診に行ったところで医師から指摘を受けることは必至と考え、3ヶ月の猶予を申し出て、せめて元の体重までにはと3ヶ月間努力いたしました。その結果、74.3キロまで減量に成功し、自信をもって人間ドッグの予約を入れたのですが、油断というものは本当に怖いもので、1ヶ月の間に体重が戻ろう戻ろうとするのです。なんとか受診日当日を迎え、問診時に最近はやりのメタボ検診の為に腹囲を測ることとなるのですが、必死でお腹を凹ましたのが先生にはお見通しだったようで、凹ました分の相当の余裕をもって測られてしまいました。しかしながら、戻ってきた結果は、84.7cmということで、辛くも逃げ切り、3ヶ月の努力が報われることとなりました。

これからどんどんお酒もお料理も美味しくなる季節、例会等で皆様とお会いした際には、「齊藤、最近油断してないか。」と一言お声掛けいただければ幸いかと存じます。

今後ともどうぞ宜しく御願いいたします。

山上 高弘(昭52経)

私が、神戸慶應倶楽部に入会いたしましたのは平成15年6月であり、かれこれ5年余りの歳月が過ぎ去っております。その間、会長さんは上島さん、和田さん、五代さん、広瀬さん、そして現会長の佐井さんに引き継がれて来ております。私が入会した当時は、会員の年齢も比較的高く、私自身、年齢的にも1番若い世代であったと記憶しております。ところが、ここ数年は平成年度卒業の若手会員の入会が多くみられ、私自身もあっという間に中堅どころの年齢層になってしまったなと痛感しております。

私は、神戸慶應倶楽部で、現在、幹事の任に付き世話役の一端を担っております。同好会としては、パソコン同好会、ジャズ同好会、ゴルフ同好会に所属しております。パソコン同好会は、世話役の市川さんが最近多忙のため現在休会状態ですが、一時期は毎月例会を開催し活発に活動をしておりました。ジャズ同好会では世話人の近藤さんの盛りだくさんの楽しい企画が組まれておりますが、私自身時間が取れず最近は参加できていないのが現状です。ゴルフ同好会におきましては、世話人の渡辺さんの企画で、近江慶應倶楽部、関西婦人三田会とのジョイントコンペに参加しております。慶早ゴルフコンペ(春は広野ゴルフ倶楽部、秋は神戸ゴルフ倶楽部で開催)には、ほぼ毎年参加しております。(しかしながら、どちらかというと慶應の足を引っ張っているようですが・・・)。

神戸慶應倶楽部においては、今年6月から佐井会長、森本幹事長の新体制になり、森本幹事長の積極的な勧誘で会員の増員が図られております。また、今年は慶應義塾大学設立150周年にあたり福澤諭吉先生の逸話を聞く機会が多くあり、会に参加するたびに、先生の先見性、独立自尊の精神には、いまさらながら敬愛の念を抱かざるをえません。私自身も微力ではありますが、少しでもこの精神を引き継いでいけたらと思うこのごろでございます。

まだまだ、若輩者でありますが、神戸慶應倶楽部の益々の発展のために、また会員の皆様のためにも、精一杯やらせていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

≪ブルートレインの移動≫

後藤 大悟(平13経)

私の仕事の件で恐縮ですが、本年1月~4月に取り組んだ仕事についてご紹介させて頂きます。

それは、JRのブルートレイン(「あさかぜ」18両・「彗星」14両;計32両)をタイ国鉄へ無償提供をする輸送の仕事でした。
  私は、鉄道の事はあまり詳しくなく、誤解を恐れずご紹介させて頂きますと、「あさかぜ」は、東京-博多間を結ぶ寝台特急として活躍し、鉄道ファンの間で人気の高い車両との事です。最近でも「銀河」が廃止されたニュースをご存知の方もおられると思いますが、その「銀河」と同じ青い車体のブルートレインです。
  今回タイ国鉄へのブルートレインの譲渡は4回目との事で、現在タイ国内ではブルートレインを見かける事がよくあるという事です。インターネットで調べると様々な人の旅行記で驚きとともに紹介され、タイではまだまだ現役のブルートレインの姿を見る事ができるようです。

さて、実際の輸送方法についてですが、これまでの譲渡と異なり、下関港以外での作業であった為、輸送方法・手続き等全て実績のない中から輸送計画が始まりました。まず、JR・下関駅車庫と下関港は距離が離れている為、国内での輸送作業が必要でした。国内輸送は、車両を線路からクレーン2基で持ち上げ特殊車両へと積み込み、下関港へ移動させたのですが、貨物が大きいため全て夜間作業となりました。
夜、下関車両基地の仕事が終了したあと、クレーンを基地内に搬入して仕事開始です。初日は、現地のマスコミ・JR関係者・作業者等約50人近くの人が、下関駅・下関港へ集まりました。 
下関港での一時保管の後、船が来るのを待って船への積込作業も行いました。実際は、原油高等の影響もあり、起用の船がなかなか決まらず、港での待機期間が長くなりました。
また、下関港は関門海峡の早い潮流の影響もあり、揺れる船への車両を積み込みとなり、こちらも非常に難しい作業となりました。

  最終的には、無事に32両をタイまで送り届ける事になりましたが、この仕事を通じて多くの人の知恵と努力を重ねる事によって仕事を貫徹する事の素晴らしさを味わう事ができました。また、輸送の仕事は地味な部分もありますが、縁の下の力持ちとして社会の役に立てることを喜びとして今後の仕事に生かしていければと感じる事もできました。皆様におかれましても、タイへお出かけの際は現地で走るブルートレインの姿を見て、この話を思い出して頂ければ幸いです。

≪読書会にお集まりください≫

9月24日(水)6時半から、倶楽部ルームで開催します。
この夏の宿題として必修科目の「学問のすすめ」をもう一度読み直してご参加ください。

≪上海での思い出≫

高金 俊博(昭48商)

私は1973年にダンボールのパイオニアでありますレンゴー(株)に入社し35年になります。この間、日本は札幌、静岡、東京、新潟、岡山と転々としダンボールの販売一筋で参りました。

2002年10月に辞令を貰い、12月に生まれて初めて上海に渡りました。大変な不安と大きな期待がありました。と言いますのも、大学時代今は無き石川塾長のゼミで『現代中国論』を受講したからです。現代中国論といいますのは、1949年10月1日の毛沢東による中華人民共和国設立以降の政治史を学ぶものでした。卒業以来いつかは中国に仕事で行ってみたい希望がありましたが、残念ながら30年近く叶わなかったのですが、ようやく実現しました。12月24日に正式赴任し上海浦東空港に降り立ちましたが、空港の大きさ、中国語で大きな声で喋りまくる中国人を目の当たりにし圧倒されっぱなしでした。

就業VIZA,居留証発行、健康診断など日本では全く経験したことの無い諸手続を通訳同行の下こなしていきました。中国ではわが社は運転禁止で全て運転手付の車があてがわれます。もちろん通訳も美人の女性がついてくれました。

私の主要な業務は、日系メーカーに、上海聯合のダンボールをより多く販売することでした。ビジネスの大きな違いは日本人同士良いパートナーの関係が出来ても、実務は中国人が握っており、彼らは既存の業者との付き合いの中でしがらみがあり、簡単には取引が出来ないというもどかしさが沢山ありました。“賄賂”というものを堂々と要求してくることも多々ありましたが、私どもは全く応じませんでした。日本以上に品質・価格にも厳しく中国ビジネスの難しさを痛感したものでした。しかし中にはお互い理解し会える中国人も出来、食事を出来る関係にもなり、乾杯、乾杯で最後には意識がなくなったことも2、3度ありました。言葉の問題もあり、休日はもっぱら日本人とのゴルフで過ごしました。特に印象に残っているのは、雲南省にある昆明の『春城(スプリングシテイ)』 というゴルフ場です。ここは標高2000メートルにあり、一年中春の気候です。湖のほとりに36ホールあり、ジャックニクラウスとロバート・T・ジョーンズが設計した東洋一のコースといわれております。聞きしに勝る素晴らしいコースでここで最後にプレーが出来本望でした。

今、餃子事件など相変わらずギクシャクした関係がまだありますが、一般市民は日本にも理解を示しますので、私も今後とも民間外交で少しでも日中の架け橋に貢献できるようにしたいと願っております。

≪故岡本彰祐氏を偲ぶ≫

BRB「社中の心」の最初の執筆者(2002.7~10月号)岡本彰祐氏(2004年11月逝去)の共同研究者でもある歌子夫人が、この度『岡本彰祐アンソロジー』という生前の氏の著作を編まれた本を発刊されました。

「時代を超えた」科学の成果と方法論から「人間の幸福」の科学に至るまでを、人間味あふれる言葉で綴られた心に響く内容で埋まっている秀逸の1編です。中には「社中の心」の2篇も掲載されています。ぜひご一読をお奨めします。

「岡本彰祐アンソロジー」(築地書館:2000円)
なお、専門分野については、次のホームページでご覧いただけます 。

http://www.hit-center.jp/contents/osirase2.php

≪東南アジアの旅≫

清家 伊佐雄(昭44工)

2月後半から3月始めにかけて、タイ、カンボジア、ベトナムと世界遺産をめぐる旅行に行ってきました。文化遺産にふれる感動もありましたが、これらの国の歴史、文化を知り、人々の日常生活を垣間見ることにもなり、まだまだ貧しい人々が多い現状を見て、恵まれている日本を思うと、人生観が少々変わってきました。

わけても、カンボジアは30年近い内戦と、大量虐殺や餓死で、人口の3分の1がなくなりました。また平和になって15年ほどたちましたが、いまだに地雷、不発弾が数多く残っています。戦争の傷跡は深く、貧困層が多い国です。

そのカンボジアのアンコール遺跡観光は、シェムリアップ(首都プノンペンから北西に250km)が拠点になりますが、アンコールワットが1992年に世界遺産に登録されてからでしょうか、観光客が飛躍的に増えているようで、数多くのホテル、レストランなどが建設工事中でした。

市街地を抜けると、人々は高床式の粗末な木造住宅で貧しい生活をしています。遺跡の近くでは、わずかな収入を得るために、いたいけな子供までが観光客を必死で追いかけて土産物売りをしている姿を見ると、哀れさを感じずにはいられませんでした。

アンコールワットには悠久の古に思いをはせる緻密なリレーフも綺麗に当時のまま残っていて、王国のドラマ(戦の場面が多い)を窺い知ることができます。建物は、風化や内戦のために傷んでいて、足元が崩れていたり、石段が急傾斜になっていて少々骨がおれるところもありましたが、日本や他の国々の援助によって、遺跡保護や修復が進められています。一度は訪れる価値の高いところだと思います。

≪ムンク展鑑賞≫

郷田 誠紀(平6商)

はじめまして、郷田誠紀と申します。
神戸慶應倶楽部に、昨年の10月から入会させていただいております。皆様、どうぞ、よろしくお願いします。

自己紹介はそこそこに、今回は、兵庫県立美術館で開催中のムンク展に行ってきた感想等を披露させていただこうかと思います。

ムンクというと叫びに代表されるように、不安や心の葛藤を現した表現主義的な作風で知られていて、陰鬱の作品が多いイメージがあり(それ故、ヒトラーからドイツ国内での活動を弾圧されていたはずです)、ムンク展に行くのも迷っていたのですが、行ってみて、その印象が全くといっていい程変わりました。それは、今回の展示は、1890年代の『吸血鬼』や『絶望』といったいわゆるムンクと言われて浮かぶようなイメージの作品も展示されていましたが、それよりも、ムンクの装飾画家としての側面にスポットを当てたものがメインであったからです。

ムンクは、個人宅や施設等から絵の依頼を数枚受けたとき、その作品群に一連のテーマを持たせ、どのように配列するかということにテーマをもたせるということに力を入れた画家でもあり、今回はそういった『装飾プラン』が数多く展示されておりました。

中でも、印象に残ったのが、『リンデ・フリーズ』というもので、これはドイツの医師のリンデ博士から、子供部屋に飾る絵の作成を依頼されたときの作品群なのですが、最後の一枚の絵に、男女が公園のベンチで抱き合っているのが描かれていて、依頼者のリンデ博士はそれが気に食わず、作品群全ての受け取りを拒否したといういわくのあるものです。この展示を見て、その問題の絵以外は、素晴らしいものばかりでありましたし、問題の絵も素晴らしいもので、抱き合っているといっても抽象的で風景に溶け込んでいましたので、子供部屋に飾るのも相応しくないわけではないのにという風に感じました。テーマごとに、どう感じるかというのも、人によって異なるでしょうし、もし、皆様もご覧になられたら、この『リンデ・フリーズ』は見ていただきたいです。

また、1909年にノルウェーに戻ってからの作品も多く展示されており、それらは1890年代のムンクの代表作群とは少し雰囲気が違い、鮮やかな色彩で描かれたものが多く、その辺りもイメージとは違って楽しめました。

この、ムンク展は3月30日まで開かれているので、興味のある方は是非行ってみてください。

これからも、会員便りや会員の輪のコーナーで、また書く機会がありましたら、日常体験したことや興味のあること等を中心に取り上げて行きたいと思います。例会等も積極的に参加するつもりですので、皆様これからもよろしくお願いします。

≪イギリスの美味しい食べ物≫

齋藤 洋邦(平12商)

はじめまして。‘00年3月商学部卒業の齋藤洋邦と申します。
神戸慶應倶楽部には昨年の10月から入会させていただいております。みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

さて皆さんもよくお聞きになっていると思いますが、「イギリスは飯が不味い」とよく言われています。
実際にイギリスによく行かれる方はご賛同いただけるかと思いますが、これは必ずしも正しくないと考えます。どちらかというと日本の食レベルが極めて高いと私は思います。昨年は食不振が広く報道されましたが、日本では某牛肉丼物FC店のように、安価でありながらも質の高い(舌の肥えてらっしゃる方は別ですが)食事が提供されています。アメリカのファーストフードはひどいものです。もちろんアメリカでも美味しい食べ物はたくさんあります。要は「どんなところで食べるのか」ということに尽きると思います。

では、イギリスのどこでおいしいものが食べられるのか。イギリスで一番外れの少ない飲食店は「パブ-Pub(Public House)」です。日本における居酒屋のイメージをお持ちの方もいらっしゃると思いますが、ちゃんとしたPubではレストランとバーが分かれて設置されています。有名なFish & ChipsもPubで食べると全く違います。またその他にPieもお勧めです。私のお勧めはChicken & Mushroom Pieです。これらについてくるChips(フレンチフライ)はお酢と塩(Salt & Vinegar)が一番よく合います。

ご存じのように、Pubのバーでは人の波をかき分けてカウンターにこぎ着け、バーテンを捉まえて初めて飲み物が注文できますが、レストランではウェイターが飲み物を持ってきてくれるので、そういった点でも安心です。イギリスに行かれる際には是非お試しください。

≪甚だ僭越ながら自己紹介させていただきます≫

山中 勧(昭63法)

昨年8月に入会させていただきました山中と申します。皆さま初めまして。

昭和41年3月生まれの41歳。現在、株式会社伍魚福(ごぎょふく)の社長を務めております。いかなごのくぎ煮、明石だこのやわらか旨炊きなど神戸の銘品から、キャビア・フォアグラ・からすみ・このわたなどのチルド製品やドライ製品に至るまで400種類以上を取り扱う珍味のメーカーです。
学生時代は体育会洋弓部に所属し、4年間アーチェリー三昧の毎日でした。オリンピック銀メダリストの「中年の星」山本博さんが当時宿敵日本体育大学に在学中で、団体戦ではいつも苦杯をなめておりました。

大学卒業後、伊藤忠商事に入社し、法律部門やアパレル部門で仕事をしておりましたが、平成7年の阪神大震災を契機に退職し、当時父が社長をしていた伍魚福に入社しました。営業部長などを経て、平成18年3月より社長に就任し、現在新米社長2年生です。
大企業は景気が良いようですが、中小企業、特に我々食品メーカーにとっては昨年は偽装問題の多発や、原料価格の高騰(特にいかなごの不漁には参りました)など嵐のような1年となりました。今年も当社としては価格改定などさまざまな課題が山積していますが、全社一丸となってお客様にもっと喜んでいただけるよう努力してまいります。

さて、先日卒業以来ほぼ20年ぶりに日吉キャンパスを訪れました。洋弓部の当時の監督を囲む会が日吉のファカルティラウンジ(来往舎という建物内)で開催されたのです。新しい建物は建っているものの、キャンパスはそのままで懐かしかったです。学生時代の仲間もさまざまな道で活躍しています。改めて慶應の良さというものを感じました。

この写真は、昨年家族で中国・北京へ行った際に故宮(紫禁城)で撮ったものです。一緒に写っているのは、今年高校1年になる娘、中学1年になる長男、幼稚園の年中組になる次男です。私自身は、中学時代に読んだ吉川英治の「三国志」以来、中国に興味を持ち、大学の卒業旅行で20日間彷徨ったのが始まりで何度も中国を訪れています。昨年10月には神戸市の訪中団にも参加し、神戸空港から天津へ行ってきました。

また時間を見つけて倶楽部の例会にも参加させていただきたいと思っています。皆さまのご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い致します。
※ブログも書いてます。 http://gogyofuku.co.jp/kan/