会員の輪

2009年

≪商売繁盛応援団団長≫

土井 正孝(昭63商)

先日、ある業界の小売業者の方を対象にした講演会へ出席する機会に恵まれた。主催者は、昨今の景気状況を皆に何とか跳ね返してもらいたいと考えたのであろう。講師は、有限会社商売繁盛応援団団長。なかなか思い切ったネーミングの方である。ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、団長は、福井県小浜市でお箸を販売し、たった1店舗の販売にもかかわらず、年間数億円の売上をあげ、全国繁盛店14店舗の1つに紹介されたこともある会社の社長さんである。団長は、3T(お客様に「得になる」「為になる」「楽しい」)を心得とし、アイデア商品をいくつも生み出している。別に変わったお箸を作っているのではなく、そのネーミングや売り方にちょっとした工夫や特徴がある。例えば、1本が五角形の箸、一膳で十角、すなわち当確箸、また、1本の箸に紅白の五本線を入れて一膳で十線、すなわち当選箸、売り方も「顧客満足」ではなく「顧客感動」などなどである。

その団長が、「ありがとうございます。」を言わない運動をしていると。「ありがとうございます。」「ありがとうございました。」は商売にとって最も頻繁に使わなければならない言葉なのにと思ったところ、思いがけない答えが。「ありがとうございます。」は、とても便利なフレーズであるため、どんな場合でもこの一言で済ましてしまうことがある。だから「ありがとうございます。」に代わる言葉あるいは付け加える言葉をお客様にかけようという運動であると。団長のお店では、例えば、鈴とひょうたんの「商売繁盛箸」を買った人に「このお箸は鈴とひょうたんでお客様が鈴なりになるという縁起のいい箸です。明日から商売大繁盛です。おめでとうございます。」というふうに。

「ありがとうございます。」だけでは伝わらないこちらの気持ちを言葉にして伝える。言われたほうも得した気分になり幸せになる言葉。商売のためだけではなく、色々な場面でちょっと試したくなる講演内容だった。さすが、やはり応援団長。

≪郷愁誘うレディオミュージック≫

河野 忠友(平1商)

当原稿の依頼を頂き、頭を抱えていたネタ枯れの夏休み。そんなある深夜、TVショッピング番組から流れる懐かしい音楽CDが耳に留まった。ふと受験生だった頃を思い出し、しばしタイムスリップ・・・・・。

もう30年前になる。学校での話題は「MBSヤングタウン」通称ヤンタン、「ABCヤングリクエスト」そして「オールナイトニッポン」。今はWIIやらDSのゲームソフトが子供達の共通語だが、当時は前夜のラジオネタが主流だった。そんな賑やかなAM放送のチューニング中にいつもと違う美しい音質のFMチャネルに一気に引き込まれていった。

大学受験勉強を始めた頃だと思う。流れてきたのはフランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの「ミスター・ロンリー」。そして衝撃的なナレーション。「遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。満点の星をいただく、はてしない光の海を ゆたかに流れゆく風に 心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂(しじま)の、なんと饒舌なことでしょうか。」

子供心に憧れていた海外の情景が殺風景な勉強部屋に広がった。まだ高校生だったから世界を知っているわけではない。受験のための世界地理を頭の中に押し込んでいるだけ。それからというもの、毎夜午前0時、キャプテン城達也が操縦する日本航空「ジェットストリーム」で世界旅行へテイクオフ。リチャードクレイダーマンの美しいピアノの旋律が中世ドイツの面影残るロマンティシュ・シュトラーセへ連れて行ってくれたし、ポールモーリア楽団のストリングスが蒼いエーゲ海へ誘(いざな)ってくれた。ナレーションの散文詩も粋で新鮮だった。元々鉄道マニアだったはずなのに、この夜間フライトを重ねる度に空の世界に憧れるようになった。

大学1年生の夏、昭和60年8月9日に日航123便で神戸に帰省した私はその3日後、同じ123便がレーダーアウトしたことを知り驚愕した。それでも空への憧れは消えず、卒業と同時に空の安全を誓い念願の全日空に入社、文字通りはるか雲海を超え世界を旅する仕事に就けたのだった。事故の衝撃からか日本航空への就活はしなかった。

「夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは、遠ざかるにつれ次第に星の瞬きと区別がつかなくなります。光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。お送りしていますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように・・・。ではまた午前零時にお会いしましょう。おやすみなさい。」 このエンディングナレーションも全日空勤務時代を含め、平成6年12月城達也機長のラストフライトまで聴きつづけた。降板直後の平成7年1月17日には神戸で大震災が起こり世界への旅どころではなくなった。そして悲しいことに2月(だったと思う)、元機長は帰らぬ人となった。
(日本航空提供のジェットストリームは今でもFM東京系列で放送中の長寿番組です。)

 

≪六甲全山縦走≫

宝田 大輔(平11経)

11月8日と23日に六甲全山縦走大会が開催されます。須磨浦公園を出発して宝塚までの56kmのコースを自分の力で歩きとおすのが六甲全山縦走です。

神戸に転勤してきて、休日に六甲山を登った時にたまたま縦走大会が開催されているのを見たのがきっかけで、ぜひ一度参加してみたいと思っていました。

「56kmを歩きとおすのに13時間ほどかかったが、自分の体力に自信を持てた。非常に疲れたが、ゴールした時にはすごい達成感があった」と全山縦走に参加した知り合いからききました。また、参加者の8割くらいの方が完走しているそうです。

六甲全山縦走に参加するには、参加申込書を窓口販売期間(一週間ほど)に買って申し込みをすることが必要です。昨年は、気合を入れて準備をしたのですが、販売3日目にこの参加申込書を買いに行ったらすでに売り切れてしまっており、参加できずに非常にくやしい思いをしました。東京マラソンも参加の抽選倍率が6~7倍ほどになったそうで、六甲全山縦走の人気も健康に対する関心が非常に高まっているからなのか、と非常に驚きました。

今年は準備はほどほどに、まずは気合を入れて販売開始の初日9月1日に参加申込書を買いに行くつもりです。

≪オーディオのこと≫

市川 義人(昭57経)

音楽評論家の黒田恭一氏がこの5月に亡くなられた。今でもラジオのスイッチを入れるといつもの声がきこえてくるような気がする。
黒田氏は70年代から主にステレオサウンド誌でオーディオ評論家としても活躍されていた。

当時ステレオサウンド誌を愛読していたが、音楽評論家の三浦淳史氏の随筆を心から楽しみにしていた。三浦氏はイギリスの作曲家や演奏家の紹介に尽力されていた。「エピソードがすべて」という言葉を好まれた氏の著書は数冊手元にあるけれど、単行本で読むよりもステレオサウンド誌での連載を読むほうが挿絵があったりしてはるかに風情がある。

1970年代のステレオサウンド誌に執筆されていた五味康祐、岡俊雄、瀬川冬樹、岩崎千明、山中敬三、井上卓也、長島達夫、長岡鉄男、黒田恭一各氏は鬼籍に入られた。当時の執筆陣でいまでも活躍されているのは多分、菅野沖彦、上杉佳郎、柳沢功力各氏くらいであろうか。

就職して3年目にして買った念願のスピーカーはYAMAHAの生真面目な音のスピーカーであった。音には満足できなかったが買い替えはしなかった。当時欲しかった製品は金額の桁が違っていたから。そうこうしているうちに仕事が忙しくなったこともあってオーディオに対する興味も徐々になくなっていった。

黒田恭一氏の訃報を聞いてオーディオと音楽だけが生活であった昔のことをふと思い出してしまった。私のオーディオも物悲しい色調を帯びてきたようである。

≪細マッチョ≫

矢形 幸之助(平3法)

この3月27日にジムに入会した。今までジムに登録したことは何度かあるが,いずれも通うことなく,3か月後には退会していた自分が,今は週に2回にペースで通っている。

そのジムとは知る人ぞ知るゴールドジム!そうあのマッチョ集団の巣窟(そう表現するとスタッフは怒るであろうが・・・)。半数以上がそのような人達で埋められているのは事実である。

中には,鏡に向かってポーズを取っている人もチラホラいる。
しかし,全く憧れはない。
あくまで目指すは細マッチョである(マッチョじゃスーツが着られない)。
理想にはほど遠いが,最近体つきが変わってきたのは,実感できる。
いや,体つきだけではない。気付けば駅の階段を歩いてのぼっている。息も切れもしなくなった。
それもこれもマシンでトレーニングし,25分ランニングを続けてきた成果である。

先日,マスターズで4位入賞した片山晋呉選手も「心技体という言葉があるが,健全な肉体という土台の上に,技が乗り,心が付いてくる」というようなことを言っていた。この言葉に,土台を作る根に十分な栄養(食事)が必要であることを付け加え,今日もジムに通う。

≪初めまして≫

後藤 平八郎(平19経)

経済学部平成19年卒業の後藤平八郎と申します。本年3月より実家のある神戸に帰ってくることとなり、この度神戸慶應倶楽部に入会させて頂きました。兄である後藤大悟より、神戸慶應倶楽部について紹介され、5月27日の総会に急遽出席致しました。総会では佐井会長を始め諸先輩方から非常に温かく迎えて頂き、楽しく時間を過ごさせて頂きました。

学生時代は體育會柔道部に4年間所属しておりました。柔道は中学校より始めており、今でも時間を見つけては道場に通っています。趣味はスポーツ。社会人になってからは特にゴルフにハマっており、練習を重ねた結果やっと人並みにラウンド出来るまでになりました。

まだまだ若輩者ではございますが、今後とも何卒ご指導の程宜しくお願い致します。

≪球春到来≫

溝口 省吾(平10商)

ワールドベースボールクラッシク/侍ジャパン 大いに盛り上がりました。熱戦に次ぐ熱戦。最後はシナリオがあるの?と思わせるような劇的なイチローの勝ち越しヒット。延長戦で韓国を制しての2連覇達成。日本が戦った全9戦のうち韓国戦が5試合という組み合わせの偏り等大会自体に対する諸々の疑問点を忘れ、日本中がクライマックスに酔いしれた2009年3月24日。国別対抗戦によるナショナリズムの高揚、後のない戦いの緊迫感、野球という競技のすばらしさを実感した日となりました。
多くの日本人と同じく私もその一人です。

しかし、この冊子をお読みになっている方々のうち相当数が平日の午前中を日本中の大多数の野球ファンとは少し異なった感情で過ごしたのではないでしょうか。別の気になるものが、そのウラで行われていました。春のセンバツ高校野球です。

昨年の夏の大会に続き慶應高校が出場しました。ワールドベースボールクラッシク決勝戦と同じ日に初戦を迎えたのです。残念ながら健闘むなしく開星高校に破れ姿を消しました。今大会は、センバツでは史上初の慶早揃っての出場でした。密かに甲子園での応援合戦を楽しみにしていましたが、実現に至らず残念です。

実は昨年の夏の甲子園、灼熱の中、学生時代共に神宮で声を嗄らした妻と幼い子ども2人を連れて慶應高校の応援に行きました。卒業以来11年ぶりに耳にする応援ソングに、妻共々自然と声を出すことができました。関西に暮らす身としては本家神宮球場での六大学野球にはなかなか足を伸ばすことができず、なんとも言えない懐かしい時間を過ごしました。

今回も勝ち進み自身の休みと合う日に試合があれば是非応援に行きたいと思っていただけに残念でした。また、夏に帰ってきてくれることを心待ちにしています。球児の皆さんお疲れさまでした。
球児といえば、藤川球児選手が準決勝以降に登板機会がなかったのが寂しい限りでした。
気持ちを切り替えて夏の高校野球までは真弓タイガースを応援します。

≪旅熱中症≫

寺本 督(昭61経修)

私は、国内外を問わず、物見遊山の旅に熱中しています。国内では、主な所は行き尽くし、今は人口数十人程度の離島をターゲットにしています。また、海外では、先日、コロンビア、エクアドルを訪ね、合計124カ国を訪れたことになりました。

旅中毒のきっかけは、学生時代の1980年頃、インドのデリーから、バスに乗って、パキスタン経由、イスラム革命直後のイランに旅したことに始まります。イラン国境で、すれ違ったドイツ人から、イランでは闇レートと、公定レートの差が数十倍あるので、ドルを隠して持ち込むよう勧められました。靴下に、ほんの200ドルくらいを隠して、持ち込みましたが、なんと、テヘランの闇ドル市場では、50万円くらいの値打ちのあるイラン紙幣に両替が出来ました。それからは、思いがけず贅沢三昧の滞在ができ、最後は、テヘラン発パリ行きの航空チケットを買ったのですが、残金を使い切れずイスラム・モスクに寄付して出国しました。その時の、強烈な印象から、その後ずっと国内外旅中毒に感染することとなりました。

現在の旅のテーマは、(1)全世界の独立国(約190カ国)を全て行き尽くすこと。(2)東アジアの、古代から中世までの歴史的遺跡を訪ねること。(3)海外に散らばる日本人の痕跡を見つけること。主に、この三点に関わる所を訪れています。

(1)の全世界訪問は、現在、あと70カ国程度を残していますので、一年3~4カ国程度訪れれば、20年程度で達成できると考えています。しかし、80カ国を超えた頃から、通常の観光に適した国は訪れてしまい、旅行することが、かなり困難である国しか残っておらず、その困難さも醍醐味となってきました。今後は、まず、アフリカのマラウィ、モザンビーク、次いで、南米のガイアナ、スリナムを訪ねてみたいと計画中ですが、かなり、問題の多い地域のようで、計画段階から、ワクワク、ドキドキです。

(2)の東アジアの古代史中世史に関わる旅ですが、この地域を80回程度旅していますが、数千年来の古代交流を夢想していると、本当に楽しくなります。例えば、中国雲南省で出土したテン王金印は、博多で出土した金印と酷似していました。漢帝国からみて、雲南も倭国も同じような繋がりだったのでしょうか。韓国光州市にある日本式前方後円墳などは、百済と古代倭が不可分の関係であったことを如実に語っています。北朝鮮平安南道の数多くの古墳に残る高句麗壁画は、高松塚古墳との共通性に驚嘆しました。韓国公州市で出土した百済武寧王の棺は、紀州熊野産でした。また、時代は中世ですが、韓国慶尚南道を中心に数十残る倭城(秀吉の朝鮮出兵の際日本軍が築城したもの)の壮麗さをみると、秀吉の気まぐれではなく本気で朝鮮に侵攻しようとした気迫を感じました。

(3)の日本人の痕跡は、主に、明治以降、所謂大東亜共栄圏に日本人が残した有形無形のものを見たり感じたりする旅です。これらは、現地で保存がなされないという事情で、早く行かないと雲散霧消していく性質の物です。日本語については、ニューギニア、インドネシアのセレベス島、台湾の孤島の蘭嶼などで、かなりはっきりと残っていました。蘭嶼のタオ族などは、日本語の会話だけではなく、ローマ字表記の日本語が定着していました。例えば教会は「TENSYUDO」と、表記してあったりするのです。日本の建築物は、中国吉林省長春に残る関東軍司令部を代表格に、北は樺太、南はジャワ、東はマーシャル諸島、西はビルマまで無数の建築群が残っていますが、リストをもとに徹底的に見て歩いています。しかし、年々激減していくのが残念です。今まで、一番印象に残っているのは、北朝鮮の開城で、早朝、当局の監視の目をかいくぐり町を徘徊していたとき、「昭和6年竣工」と書かれた橋を見つけたときには、感動しました。

まだまだ旅は、続きますが、一人旅も寂しく苦しいので、ご一緒に、いかがでしょうか?

≪1月例会に初参加した感想≫

左川 健三(昭45工)

昨年2月末、山口県防府市から縁あって神戸市に引越して来ました。昨年の秋の関西合同三田会に出席して、そこで神戸慶應倶楽部をしり、さっそく入会の手続きを致しました。
1月例会に初めて参加して、野田さんの”初めてのお遍路さん”の講演を歴史的な趣のある神港ビルの5階にある神戸慶應倶楽部室の中で聞かせて頂きました。佐井会長を始め18名出席され、初めてとは思われない和やかな雰囲気の中で、美味しいお弁当を食べながら野田さんの話はまたとても情熱的でした。

山口県の防府にも三田会がありますが、年に1度の例会があるくらいであとは特に活発な活動はありませんでした。ここ神戸では、ジャズ、ゴルフ、囲碁、読書会などの同好会や隔月に例会も開かれ、このような多才な会員によるお話があり、その充実振りに驚いております。

私は工学部時代、男声合唱団に所属し、国立音楽大学と混声合唱もしていた関係で現在の妻と知り合い、音楽と自然と旅行に興味を持っております。そのどれも神戸は兼ね備えた素晴しい所で大変気に入っております。四国八十八箇所巡りも妻と二人で歩いて、何回か何十回に分けて完歩出来たらと思っています。素晴しい多くの仲間とこの倶楽部を通して巡り会えた幸せを感じた一日でした。これからもよろしくお願い致します。

青戸 統子(昭29文)

「べにはな」と言うNYのレストランをご存知でしょうね。私が大学1年頃日本橋の裏通りにありました。戦前の焼け残りの二階家で、お客は1階で待ち、ぎしぎしした階段を上るとロの字型の厨房の中でコックさんが大きい帽子をかぶって、時々バアッと炎を上げて。当時は珍しいパフォーマンスでした。父に連れられて行ったのですが、三輪車で遊んでいたのが後のロッキー青木でした。その後丸善の下に移り、NYへと。今日は何度も通って盗んだその味を久し振りに作って懐かしかったので書きます。

関西の豚肉は今一つですが、こうすると大丈夫。とんかつ用切り身に包丁の切れ目をいれ、塩コショー、酒をひたひたとつけて5分。メリケン粉をたっぷり表裏につけ過ぎるほどつけます。フライパンにオリーブ油を多めにひき、片面から焼いて横に玉葱やしし唐などいれて、肉に焦げ目が付いたらひっくり返してすぐ、トマトケチャップをたっぷり、ウスターソースはその1/3、醤油はほんの少し、とお肉に直接かけてピッタリ蓋をしてウンととろ火に。(その前から同時進行でパスタを茹でておきます)暫く放っておいて見たらソースがとろとろになっていますから、パスタをワッとまぜます。大皿にスパゲッティを盛り、その上にポークソティを載せて、べにはなのポークソティ・オン・スパゲッティ。

なあんだって?当時は味もボリュームにもお客はこれに随喜の涙を流したものでした。1階は待ち人で一杯でした。アメリカ雄飛も当然だったのです。

註:「関西婦人三田会HPに掲載したもの」

≪野菜ソムリエ≫

渡邊 留美(平10環)

謹んで新年のお慶びを申し上げます。昨年8月に入会させて頂きました、渡邊 留美と申します。私は、環境情報学部の5期生として、慶應に入学致しました。卒業後は東京で7年ほど勤め、4年前に転勤で関西へ参りました。

神戸は母の故郷でもあり、心がほっと落ち着く場所でございます。

ところで、私はIT関連の仕事に就いておりますが、趣味の延長として「野菜ソムリエ」として活動しております。入会後間もないにも関わらず、昨年11月の例会では、野菜ソムリエとしてお話をさせて頂く機会を頂戴致しました。未熟な私ではございましたが、皆様の温かいまなざしと、活発な質問に盛り上げて頂き、無事、お話させて頂けましたこと、心より感謝申し上げております。例会では、高知の水晶文旦をお召し上がり頂きながら、メタボ健診の背景、「健康」の定義など、少しマクロな話題を交えて、野菜や果物の効能についてお話をさせて頂きました。

老化を防ぐには、体を錆びたような状態にしてしまう活性酸素から、細胞を守ることが大切です。この働きをするビタミンやミネラルを、野菜や果物は豊富に含んでおります。さらに重要なのが、「五感に美味しい」「脳に美味しい」という効能です。野菜ジュースもサプリメントも、手軽ではありますが、それだけで「美味しいものを頂いて、幸せ」という気持ちになることは少ないのではないでしょうか。野菜や果物の色や香り、食感、音なども「美味しい」を構成する大きな要素と言えるかと思います。また、「噛む」ことは脳の細胞を活性化し、記憶力の向上にも繋がると言われております。単独で万能の効果を持つ野菜や果物というものは残念ながら存在致しませんが、だからこそ、組み合わせの妙と申しましょうか、旬の野菜や果物の「美味しさ」が生まれるのではないかと感じております。

忘年会に続き、これからは新年会のシーズンと、胃腸のお疲れが気になる季節かと存じます。かぶ、大根、蓮根など、冬野菜は胃腸の調子を整える力を持つものが多いのが特徴。消化酵素の豊富なかぶや大根は、お漬物やサラダなど生で、そして、葉も実に劣らず栄養が豊富ですので、ぜひ、煮浸しなどで召し上がって頂ければと思います。

野菜や果物について、何か疑問がございましたら、どうぞお気軽にお声をおかけくださいませ。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。