会員の輪

2010年

≪モバイル情報端末と無線通信≫

村尾 憲一郎(昭58商)

久しぶりにタスキが回ってきた。さあて何を書こうか?と迷ったが、世話役であった市川義人会員の退会により、かつて関わっていたパソコン同好会が、休眠状態となって久しく、そんな趣味のひとつを話題にしてみよう。

会社でも自宅でもすべてのパソコンが、光回線を通じて有線・無線LANでつながっているのは当たり前で、自宅にいたっては、パソコン・プリンター・電話・テレビ・ビデオ・NAS(ネットワーク型HDD)・ゲーム機・携帯型オーディオなど、あらゆる情報端末が高速回線につながっていないと役に立たない有様である。

一方、自宅と会社以外の場所で、どうすれば快適なネット生活を過ごせるか考えているのだが、携帯電話は、万人向けの高機能ながら、電池容量が貧弱、回線速度が遅い、しょせん通話・メール・カメラが主目的ということで、高い端末価格に比してコストパフォーマンスがどうも良くない。最近流行のiPhoneやXperiaといったスマートフォンは、さまざまなアプリケーションソフトが搭載され、パソコンの機能を携帯電話へ取り入れた点では、名前通りスマートであるが、小型ゆえ画面が狭く、電池容量と回線速度のボトルネックは、そのままである。(もちろん携帯電話からスマートフォンへの乗り換えの流れは、これからも変わることはないが)

 そうなるとモバイル情報端末の理想形は、通話機能は別にして、重量が軽い、画面が広い、電池が良く持つ、処理速度が速い、アプリケーションが豊富、高速回線が使えるに集約できそうである、話題のiPadは、Appleらしい斬新な製品だが、売れ筋の3G回線モデルを選択すると、まだSIMロックが解除されていないので、いやでもSoftbankの利用を強制される。安価なWi-Fiモデルを選択したいところだが、室内は良いが、室外では特別な場所でなければネットにつながらなくなる。

そこで、価格もリーズナブルで、回線速度が一番速そうなWiMAXのWi-Fiモバイルルータを注文して使ってみることにした。これならば、小型無線LANアクセスポイントを鞄やポケットに入れてどこへでも持ち運べるので、Wi-Fi対応であれば、場所や機器を問わず高速でつながるはず・・・?である。古今東西、趣味に無駄遣いはつきものだが、さて今回も無駄となるかどうか、機会があれば、使用感をレポートしてみたい。

≪三田会と私≫

小池 剛(平1経)

平成元年経済卒、小池 剛と申します。本稿の原稿を書く機会をいただき、自分自身と三田会のことを書かせていただければと存じます。

小生と三田会との出会いは前職の住友不動産時代、33歳のとき岡山支店長の辞令を受け縁もゆかりもない岡山に赴任したことがきっかけです。支店といってもたった5人しかいない小さな拠点でしたが、責任者として何とか人のつながりを広げていきたいと考え、初めて大学の同窓会に出席しようと思いつきました。どこに連絡していいかわからず大学の事務局に電話をして「岡山県三田会」について教えていただきました。連絡すると今月(赴任した年の7月)に県三田会の総会があるから顔を出してみたら、と言われるままに出席したのが最初でした。岡山県の総会は毎年塾長が来賓でいらっしゃるような大きなもので若手にとってはたくさんの大先輩に囲まれて少し肩が凝る印象でしたが、「岡山ジュニア三田会」という40歳以下の三田会があるからそちらに出てみたらと、そのとき知り合った同期の新井 恵一朗君に誘われました。ジュニアは「楽しゅうやろうやあ(岡山弁)」という合言葉の下、毎月例会があり(ほとんどはただの飲み会ですが・・・)ほんとに楽しく皆さんと古くからの知己のようにお付き合いさせていただきました。当時まだ独身でしたので先述の新井君や前後の先輩後輩と毎晩のように集まり、馬鹿話やちょっとマシな話を夜が更けるまでやっていました。先輩方もよくおっしゃいますが、「慶応義塾は卒業してからそのありがたみが分かる」そのことを実感した数年間でした。実は今回「神戸慶應倶楽部」にお世話になることができたのも岡山時代面倒を見ていただいた城口 隆先輩のお誘いをいただいたからでした。

それぞれの三田会に伝統があり歴史があり、いいところがたくさんあるわけですが共通しているのは、入ってみないと分からない圧倒的な心地よさ、慶應義塾を卒業してみないと分からない、他にはないそのありがたさ、そして次世代にいい形で引き継いでいこうとする責任感ではないでしょうか。小生も微力ながら倶楽部の発展に寄与できればと思っておりますが、何はともあれ自分自身が楽しく参加させていただくことが何よりと思い、積極的に顔を出させていただければと存じます。

余談ですが、現在小生は生命保険の仕事をしております。福澤先生は日本に初めて生命保険を紹介した方で、生命保険を「人類の知性と品性の結晶」と表現されたと伺っています。このことに興味を持って文献などを当たってみたのですが、「西洋事情」の中に保険に関する概説的な表現は見つけられたのですが、さらに詳しい表現を先生がどこかにされているのか、詳しい方がいらっしゃったら是非教えてください。

≪この2年間を振り返って≫

永島 政和(平17経)

私が神戸に赴任して早2年が過ぎようとしています。僭越ながら自分の現況、思い出話をさせて頂きたいと思います。

現在、私は田舎に本店のある某地方銀行の神戸支店に勤務しております。当初、経済学部であった私は銀行に就職するに際して、どうせ銀行に就職するなら地方で地に足をつけた仕事を、地域に貢献できる仕事をしたい、という月並みな志望動機でいわゆるUターンを選択しました。

もともと外向きな性格という訳でもなく、日々を平穏に過ごしたいというのも頭にありました。我々のような地方銀行員にはよくあるパターンのようです(笑)。
ただサラリーマンの常ではありますが、安易な考えはすぐに転勤により覆されてしまいました。それは誰一人として知人、友人がいないとも言える神戸への転勤。まさに生き方を変える転機が訪れました。

まずは神戸を知り、神戸に馴染むにはどうしたら良いか、ただひたすらに考える毎日が続きました。今までの私の職業観念からすると、そこまで前向きに考え活動することは(目下不必要ということもありましたし)、考えの及ばないところでもありました。日々悩み、苦悶する毎日があったことは記憶に新しく思います。

そんな折、青天の霹靂のごとく、ふとしたことから本倶楽部に入会する機会を頂きました。多くの先輩や後輩と知り合う事ができ、大いに励み心の拠り所になると共に様々な勉強させて頂くことが出来ました。改めて自分一人で生きているのではないということを痛感しました。

大学卒業当時、私はそこまでへの「愛」を持っておりませんでした。ただ、社会に出て私なりの荒波の中に立たされた時、改めて自分が持っていた母校への愛に気付くとともに今はひたすら感謝する毎日です。

今後は、私の後輩も多く当倶楽部に入会してくることと思います。その時には先輩から引き継いだものを、伝えていけるようにしたいと考えます。

≪口座の滝のラジオ体操≫

近藤 正(昭39商)

♪新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健やかな胸を この香る風に開けよ それ一二三・・・♪と熟年者には聞き慣れたラジオ体操の歌が、まだほの暗い六甲山の麓に響く。

定年後 早朝ウォーキング中にたまたま出合ったラジオ体操(NHK6:30放送)を始めてから約10年になった。場所は六甲山中腹のロックガーデンの入り口の高座の滝(標高250m)で、ここに毎朝20名前後の同好の士が集まって来る。

雨の日も風の日も・・・とは言わないが、毎朝続けて通ううちにいつのまにか2,800回を超えた。毎朝滝へ到着時に記帳すると、当番が「毎日登山採点表」なるものに個人別に回数を貼りだしてくれる。そのランキングを見ると、最高は11,000回の人がいて、30年来毎日続けているという。それからみたら、小生などまだ青二才だ。

自宅から高座の滝までは、徒歩で約30分(2km)の道のりなので、6時前に家を出る。夏などはすでに明るくて爽快だが、冬は真っ暗で寒風でも吹いていたら、さすがに骨身にこたえる。

高座の滝は、高さが10メートルの夫婦滝で周囲は樹木に覆われ、壁には代表的アルピニストの藤井九三氏のレリーフがある。また、滝の横に護摩堂があるのは、近くで鎌倉時代初期の祭祀性の遺物が出土され、昔は修験者の霊場であった由縁とのことだ。

護摩堂の前で体操を終えてから、滝の前で、修験者よろしく浄土真宗の親鸞の教え「三帰依文」(さんきえもん)を大声で拝読すると、身も心も滝に洗い流され、清らかな気持ちで一日がスタートする思いだ。おかげで帰宅後の朝食もおいしい。

今後、いつまで続くかわからないが、心身ともに健康を維持するために、高座の滝でのラジオ体操を続けていきたいと思っている。

≪康乗克之会員 ご結婚1周年披露パーティ≫

郷田 誠紀(平6商)

ネタが思いつかず悩んでいたところ、康乗 克之先輩(昭58商)の結婚1周年披露パーティーが、開催されるとの情報を入手し、半ば強引に(?) 出席させていただきましたので、ここにレポートいたします。

日増しに暖かさを感じるようになった3連休の中日にあたる3月21日、横浜インターコンチネンタルホテルで催されました。当日は黄砂まじりの強い風が全国的に吹き荒れ、神戸空港発の飛行機の中には強風により欠航になった便もありましたが、私は新幹線で無事、定刻ギリギリに到着いたしました。

出席者は、大学時代のご友人やラグビー関係のご友人、奥様のご友人等で少なくとも200名はいらっしゃるようで、康乗ご夫妻の人脈の広さが伺いしれました。カジュアルな立食形式で行われ、友人代表のスピーチも想いがこもっているものばかりでした。スピーチされる方も既にご結婚されている方ばかりというせいもあってか、結婚生活に対するアドバイスや奥様との接し方に対するアドバイス等(『1日、一回は必ず奥様を誉めることetc』)が多く、結婚生活1年半の私にもためになるものばかりでした。

笑いの絶えないパーティーでしたが、最後に、財津和夫さん(チューリップ)の康乗ご夫妻に向けたビデオメッセージと演奏が映し出され、場内の盛り上がりも最高に。その後、康乗先輩の見せた涙に、もらい泣きしそうになりました(奥様は微笑んでいらっしゃいましたが・・・)。先輩の涙混じりのスピーチで楽しいパーティーの幕が閉じました。

この後、2次会⇒有志(?) による、横浜老舗barめぐりと長い夜が続きましたが、大人の素敵な披露パーティーに参加でき、この日はとてもハッピーな気分になりました。お二人の門出を心より祝福いたします。

神戸慶應倶楽部にも、美しい奥様をお披露目していただきたいと思いながら、レポートを終わります。

≪合気道と日常性≫

堀 雅博(昭54経)

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

合気道の稽古を始めて、はや5年半になります。初段は許されたものの、不要な力が入ったり身体の軸がぶれたりと、課題は山積みであります。まだまだ稽古が足りません。
合気道には、試合がありません。相手を倒すこと、相手に勝つことが目的ではなく、自分の技を磨き、心身を鍛錬することを目的としているためです。 勝負にこだわる武道では、勝てなくなって来たら続けるのがしんどくなるかもしれません。 それゆえに、合気道は、男女を問わず年齢を問わずに、稽古を続けることができます。私が5年半も続けて来られたのも、そのお陰かもしれません。

稽古では、二人で組んで、技をかける「取り」と技を受ける「受け」とを交互に繰り返します。自分よりも高段位の人と組むこともあれば、初心者の人と組むこともあり、また、頑丈な大学生と組むこともあれば、まだまだ華奢な中学生と組むこともあります。相手の力や動きに応じた稽古をしないと、怪我をする、怪我をさせる危険があります。相手に応じて動く、とは、相手の言いなりになって動くことではなく、相手に自分の気持ちを合わせて相手に連れて動いていくことです。そのために、相手の「動き」、相手の「気」を「感じる」稽古をしろ、と師範は良く仰っています。今その一瞬に集中しないと、なかなか相手を感じることができないなと感じています。禅にいう「三昧」ということと通じているのかな、などと思います。

こうして続けている合気道は、日常の中で活かせるものだ、と最近感じ始めました。私は、一昨年10月から、リクルートマネジメントソリューションズという会社が行う企業向けの研修のトレーナーをしています。マネジメントやリーダーシップをテーマに考える研修が中心です。研修を受講する人たちとのやり取りを通して、彼らが今なにを考え、どんな気持ちでいるのか、どんな思いで発言をしたのかを感じ、引き出して、気づきを起こしていく、そんな仕事です。 まさに合気道で相手と組むときと同じように、相手の「気」を感じながら進行して行く、そこに共通点を見出しています。研修の場では、進行・運営も気になり、ついつい時間を気にしてしまうのですが、受講者と向き合っている間は受講者に気を集中させ、受講者を感じるトレーナーでありたいと思います。

合気道に限らず、武道では臍下丹田に気を集中させる、ということがよく言われると思いますが、このことは、声を出すときにも役立ちます。研修では話す声が受講する人にきちんと伝わらないと困りますが、呼吸を臍下丹田に落として身体で響かせないと、受講する人に届く、力のある声になりません。臍下丹田を意識する、ということでも、合気道の稽古は私の日常に活きているといえます。

相手を感じること、今に集中しきること、呼吸をお腹に落として「気」を臍下丹田に集中させること、どれをとっても未熟ですが、日常で活きる武道として、これからも稽古を続けていきたいと思っています。もし、合気道に少し興味が湧いた方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報を!見学や体験していただく機会を作りたいと思います。

≪新年を迎えるにあたって≫

齋藤 洋邦(平12商)

新年明けましておめでとうございます。

神戸を本拠地として、早2年が過ぎました。私は関東出身ですが、神戸は前職時代に4年間過ごした場所で、神戸に来ることはどちらかというと、戻るという感覚でした。しかしながら、まったく異なる立場で再開することとなった神戸生活。自分の未熟さを実感する日々を送っております。

神戸慶應倶楽部に参加させていただいたことは、私にとって大きな前進となりました。前職時代から会の存在は知ってはいたのですが、自分は所詮転勤族と思い、会に参加させていただいても中途半端になると勝手に考え、加入を断念しておりました。私がまだ大学生だったころ、自宅から2時間近くかけて通っていたということもあり、キャンパスは私にとって、通過点のひとつとしか認識できておりませんでした。慶早戦を見に行ったことは一度もなく、慶應が試合に勝ち進むことは、講義が休講になる以外の意味は何もありませんでした。若き血も、恥ずかしながら歌えるようになったのはここ最近のことです。

そんな私の浅はかな考えが誤りだと気づくのにそう時間はかかりませんでした。緊張しながら参加させていただいた最初の例会。私よりも大先輩の方々皆さんに暖かく迎えていただき、堅苦しい雰囲気も一切なく、例会だけで終わらない深いお付き合い。同じ大学の出身であるというだけで、気さくに声をかけていただける。なんと素晴らしい大学に通っていたのだろうと、日を追う毎に感じております。今こうしてBRBの編集のお手伝いをさせていただいておりますが、私が生まれた頃や、それ以前に大学をご卒業された大先輩の貴重なご経験や、今も衰えぬ意欲に自分ももっと頑張らねばと触発されております。先輩の皆様が築かれた神戸慶應倶楽部の自由闊達な雰囲気。そして皆さんに教えていただいた、どんな後輩にも注いでいただける深い愛情。倶楽部のそして、後に続く後輩のために皆さんが一生懸命会を盛り上げようとされる熱意。勿論これだけではありませんが、その思い一つ一つが私の中で芽生えております。

今年、神戸慶應倶楽部は87周年を迎えます。倶楽部が100歳になる頃、私はやっと47歳。倶楽部の半生にも達しませんが、この神戸慶應倶楽部が世界中で一番活気があり、温かみのある慶應倶楽部として続いていけるよう、その力の一部にでもなれればと願うばかりです。

神戸慶應倶楽部の皆様にとって、今年が輝かしい一年となりますように。