会員の輪

2014年

≪天津留学雑感≫

古武由紀子(昭40)

3年間神戸の天津中医薬大学付属校で中薬学を学び、4年次は本校に留学して、2013年10月に帰国した。
その間楽しかった事、辛かった事、困った事など数多く経験した。天津市では心配していた反日デモは2012年8月に河西地区であっただけで、他は何事も無く安心した日々を過ごせた。

天津市は「直轄市」で、人口は約一千万人あり、北京から時速約300キロの新幹線で30分ほどの渤海に面した美しい港町である。歴史も古く、最近観光都市を目指して開発が進められている。
特に天津十景の一つである「古文化街」は中国らしい雰囲気があり、中心地の「海河」にはデザインが美しい橋が架かっている。また旧イタリア租界はイタリア風建築物の多い華やかで素敵な街である。
住いのマンションの近くには商店街があり、大型スーパーや市場そして多くの露店が並んでいて生活は便利だった。食材は豊富で、鮮度の良い食品が手に入るので食生活を楽しむ事ができた。毎日の買物で顔なじみになった商店や露店の人達との会話も楽しみの一つだった。
他に楽しい事と言えば、学生は中国各地からきていて、昼食時クラスメート以外の学生と知り合いになった事や、年に2回の日本語を学んでいる学生達との交流会に参加した事、試験の前に教室や図書館での勉強の教え合いも楽しく愉快だった。

 

級友の陜西省延安市の家に一週間泊まり彼女の男朋友(ボーイフレンド)が車で広大な黄河瀑布を案内してくれた事、太極拳の先生である彼女の母親が私にも手解きをしてくれた事などが昨日の事のように思い出される。
辛かった事と言えば、当初実験レポートの書き方がわからなかった事や、授業中に先生が黒板に書くチョークの字が薄くて読めなかった事、授業の教室が急に変更になり東西南北の四つのうちどの校舎のどの教室に行ったらよいかわからなかった事など、また卒業論文の研究実験で麻酔をかけたマウスの小腸を切断して生薬を注入する作業の途中に貧血を起こした事などである。
また最も辛かったのは天津の生活にようやく慣れてきた頃にバスを降りようとした時バイクに当てられ転倒し、左腕を骨折して3か月間不自由な生活をした事である。運転していたのは小学生の女児を学校に送ろうと急いでいた若い奥さんだった。その後彼女は誠心誠意私の面倒を見てくれ、何度もマンションに来てくれて、骨折に効く羊の骨のスープを作ってくれたり、餃子を沢山作って冷凍庫に入れておいてくれたり、作り方を教えてくれたりした。また主人が天津に来た時には歓待してくれた上にお宅に泊めて貰った事など、今では頻繁に連絡を取り合う無二の親友となった。
困った事といえば、夏は40度にもなるほど暑さが厳しい反面、冬は零下10度前後の寒い日が続き、外出時にはジーンズを重ね穿きして凌いだ。冬季マンションは全室スチーム暖房で快適ではあるが、空気が乾燥する上に汚染しているので、加湿器と空気清浄器が不可欠であった。またベランダはスモッグよけのガラス張りになっているので洗濯物を直接太陽に当てる事ができなかった。
大気汚染についていえば、滞在中に青空が見られたのは数えるほどで、現地では気管支炎にかかる人が多いと聞いていたので日本から持参したマスクを着用する事で対処した。天津の人達は冬季に防寒用にカラフルなマスクをする事はあるが、スモッグに慣れているのでマスクをする習慣はないようであった。暖房用に石炭を燃やす事と、年末年始に打ち上げる大量の花火と爆竹、結婚式などの祝い事があるたびに鳴らされる爆竹が更に大気汚染を悪化させているらしく、pm2.5のニュースは日常茶飯事だった。日本人の私が白いマスクで歩いていると奇妙な目で見られた。
電気と水道はプリペイド方式なのでメーターの残量をチェックすることをうっかり忘れて停電、断水になり、大変な目にあった事もある。水道水は飲用に適さないのでミネラルウォーターを定期的に配達して貰わなければならず費用がかさんだ。
通学には片道2元(約35円)と安いバスを利用する事が多かったが、バス停には時刻表がなく、いつバスが来るのかはっきりしないので授業に遅れる事もあった。タクシーは学校まで9元(約150円)で頻繁に走っているのでよく利用した。道路についていえば歩道は凹凸が激しく歩きにくく、車道は悪くないが、大雨の日には排水が悪いので川に早変わりしてしまう。
自然現象で珍しい事といえば、4月に街中に柳絮(りゅうじょ)が飛び、初めて見た時は驚いた。
ここで「天津甘栗」について一言、これは日本での呼び方で、中国北部の河北省辺りから集められた物を天津港から輸出するので日本ではこのように呼ばれているようである。
以上が天津で体験した多くの事の一部である。天津で知り合った人たちの人柄は大変温和で親切、人情味豊かで、私は「天津人」が大好きになった。

入 乡 随 乡 (郷に入っては郷に従え。)
地 以 久 居 为 安 (住めば都)