月例会

2002年

2002年12月号掲載

関西合同三田会レポート

竹谷康弘(昭和57商・62商博)

11月17日(日) 於:天理教会本部
澄みきった青空の下、朝早く三宮に集合した会員約30名(神戸で登録の会員数)、貸切にて準備頂いた阪急バスに乗車し大和へと向かった。車内では歓談の輪が広がり、気がつけば青垣の山々に囲まれた天理の杜。

余裕を持って会場へ到着でき、開会前にも各地の塾員と交流、天理教神殿を見学するなどできた。
開会に先立ち、80名を超える天理高マーチングバンドの一糸乱れぬステージドリルを楽しむ。

いよいよ開会、安西塾長より、「慶應義塾の現状と展望」と題し、主に三点、独立自尊と教養教育、手に職といえる程の専門知識、より求められる国
際化、を中心に貴重な講演を頂戴した。
自身に置き換えると、絶えず自身を客体化し、見つめ、磨き、「未来に希望を持って」大きな姿を描き、示すということか。

いよいよ懇親会、移動の際に神戸は卓越した能力を発揮、正副幹事長の実力?を…。結束の固さを誇る席取り合戦に取り合えず先勝!
歓迎の和太鼓、鏡開き、乾杯の名音頭、そして十数年振り、伝説の大すき焼きパーティを体験。
バスの効果抜群、実に楽しい会食となり、最後は八百数十畳の会場を揺るがす例年とは格が違う「若き血」大合唱。この時ばかりはお世話頂いた天理教幹部の方々も驚かれていた。
深まりゆく秋の大和路、社中の絆を大いに確かめ合うことができた一日であった。

2002年11月号掲載

10月例会レポート

城口 隆(昭56経)

10月25日(金)午後6時に三宮東急イン前から、本日の例会送迎の為に購入した(中内氏曰く)という真新しいマイクロバスに、定員一杯の26名の会員が乗り込んで一路有馬温泉へ。

わずか35分で会場のVIVI有馬に到着すると、既にゴルフ組は浴衣姿で大宴会中。バス組もさっそく有馬温泉で唯一のラドン温泉の大浴場でしっかり暖まり、一刻も早く冷たいビールが飲みたいと、例会場に勢ぞろい。その雰囲気を察知した司会の内山氏が時間通り開会し、和田会長のくだけた挨拶が勢いを付け、浴衣に上掛け、二間をぶち抜いて口の字に座った出席者40余名を見据えて立ち上がった青戸女史が「山賊の女頭目になった様だ」との乾杯の発声で一気にブレーク。

ちょっとだけ堺幹事長の会務報告があったようでしたが、多分誰の記憶にも残っていないだろうと思います。その理由は、今回の会場のオーナーである中内氏が、「酒は全部任せろ」との太っ腹な一言でビール・お酒・ウイスキー等がふんだんに出されて、私自身もこんな登録料でいいのかなぁという遠慮さえもあっという間に吹き飛んでしまったからです。でも料理一品ずつがおいしいなぁっていう記憶はしっかりと舌に記憶されました。

2時間半の例会はあっという間に過ぎ去り、日帰り組だった我々を乗せたバスを玄関先で泊まり組の皆さんが万歳三唱で見送る中、後ろ髪を引かれる気分で湯の町を後に再び新神戸トンネルを通って三宮に戻り解散しました。
今回お世話になった中内氏が、送迎ではスーツ姿、例会場では浴衣姿と公私のけじめを付けて行動された様子を拝見し、楽しい中にも分別のある三田会を楽しませていただきました。

2002年10月号掲載

9月例会レポート

善塔勝一郎(昭41法)

酷暑も彼岸を過ぎて本当に遠ざかった9月27日夕刻から、9月度例会が当倶楽部ルームで開催されました。当日の講師は、日本サッカー界の御大、三菱重工の細谷一郎氏です。長年のサッカー人生でしか得られない貴重なお話に、倶楽部ルームを埋めた40人を超える会員は物音一つ立てず、真剣に聞き入っておりました。この辺は正にその人自身の内から溢れでる本当の話であるからでしょう。これからは選手も運営組織も観客も夫々に成熟していかねばなりません。

続いて、今年5月まで5年間にわたり当倶楽部会長をされました上島前会長に、和田現会長から感謝状が渡されました。改めて上島時代が思い出されます。自分自身のご多忙を押しての倶楽部への献身ご努力は、誠に頭の下がる思いが致します。運営手法の確立、財政の健全化等、どれを取っても大事業でありましたが、それを乗り越えられました。

身近な例ではありますが、例会の都度送って頂いたスナップ写真など、誠にうれしかったものです。5年間本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。感謝状と記念品の贈呈の後、雨の降りしきる中、席を旧居留地十五番館に移して懇親会となりました。

ヘルシーな料理がたっぷりとあり、美味しく頂きました。部屋にはいつもの通り、談笑が充満し、時は過ぎていきます。やがてお開きとなり、ウッチーの指揮のもと細谷氏の母校の「都の西北」の大合唱と「若き血」の大合唱のちに、9月例会は終わったのであります。

2002年9月号掲載

8月例会レポート

坂本憲一郎(H6環)

日前までの酷暑が嘘のように過ごしやすくなった8月23日、神戸グリーンスタジアムで8月度例会が開催されました。ほどよく冷房の効いたところでステーキディナーを楽しみながらの歓談と野球見物という趣向です。あいにくの雨模様そして三宮から距離があるにもかかわらず、30名の方々にご参加頂きました。

試合開始が6時と早かったため、会場に到着された方から順に軽く一杯始めていただき、大体のメンバーが集まった6時半過ぎ、和田会長のご挨拶で懇親パーティーが始まりました。
試合の方は、話題の少ないオリックスにあってただ一人春先からやわらちゃんとの交際でニュ-スになり首位打者をねらう谷選手が初回早々にホームランを放ち先行、六回には盛大な花火が打ち上がり、われわれ観客だけではなくオリックスや西武の選手達が全員ベンチから出てきて、夏の夜の風物詩を見上げていたのが印象的でした。

レストランからはカクテル光線に照らし出された球場全体が見渡せ、天然芝の緑が映えるグランドで、投げ、打ち、走る選手の動きが俯瞰でき、ナイターの醍醐味を十分に味わうことができました。

懇親会の最後には、オリックス球団よりご提供いただいた、ラーメンどんぶり・サインボール・マウスパッド・うちわ等のオリックスグッズの抽選会、そして4名の新入会員の紹介があり、お開きとなりました。(司会はもちろんウッチーこと内山会員です。) レストランの営業時間が9時までということで試合観戦を中途にして閉会せざるを得なかったのは残念でしたが歓談の方は浦上市会、北口県会、そして赤羽国会と議会報告や抱負で盛り上がりました。

希望者は引き続き二階内野席で観戦することができ、試合は延長10回、伏兵貝塚の出会い頭の一発でケリがつき3-2で西武の勝利に終わりました。
試合終了時間には、大半のメンバーは既に球場を去り、ご自宅もしくは三宮近辺にいらしたこととは思いますが・・・・

2002年8月号掲載

☆ サマーパーティ☆レポート

梅雨明けと同時に酷暑に切り替わり、毎年恒例の「今年の夏は特に暑いね~!」の言葉も年中行事のようなもの。そんな猛暑の中、7月27日(土)の夕刻から、神戸『北野クラブ』にて、7月度例会“サマー・パーティ”が開催されました。

参加者は、家族会員・新入会員も合わせて79名という盛会ぶり。
和田会長の到着が遅れていたため、五代副会長が開会の挨拶、高橋副会長の乾杯の発声でパーティは始まりました。

寺本会員制作のボサノバBGM-CDの流れる中、美味しいお料理とお酒を堪能して、お腹もご機嫌になったところで、お馴染み“KOP”(KEIO OLD PERSONS SUPER BAND)の出番となります。マドンナ小川理子嬢(昭61理工)も東京から駆けつけての出演、いつもながらの心地よいサウンドにすっかり酔いしれて、フロアでダンスに興じる熟年カップル(?)続出!きっと若い頃を思い出しながら、目の前の現実には目をつむっているのでしょうか?夫々にお楽しみだったようです。

ジャズが終わった所で、和田会長遅れて登場。中間挨拶の後、芦原前幹事長の功績を称えるユニーク感謝状の贈呈、(当日は上島前会長は欠席なので後日ということに)。

そして、お待ちかね、本日のメーン・エベント!“ウッチー&イッチー”のいつもながらの楽しいオークションの開幕です。会員の皆さんが持ち寄ってくださったヴァラエティに富んだ品物の数々が、軽妙なウッチーの口車に乗せられて(?)次々と飛ぶように高値で落とされ、258,500円という当初の目標額を軽々とクリア、「もうないの?」と言わせるほどの盛況ぶりでした。

オークションの余韻を残しながら、生伴奏の「若き血」「丘の上」を唄いつつ、広瀬努副会長の締めの言葉でお開きとなりました。オークションと共に総合司会もこなした例会担当幹事・内山会員お疲れさまでした。

(記事 堀)

2002年7月号掲載

6月度例会報告≪関西不動産三田会との合同例会≫

阪本豊起(昭49法)

神戸慶応倶楽部6月の例会は忘れられない例会になりました。芦原前幹事長は人を楽しませる企画を企てることこそ最高の楽しみ方と高言している方ですが、和田新会長と堺新幹事長のもと新しい組織での倶楽部の船出を祝する大花火を最後に用意してくださいました。

まず、この日はワールドカップで日本がチュニジアを破って予選を突破。参加者の気分も始まりから高揚しておりました。参加者は神戸慶応倶楽部のお馴染みの面々に加えて、関西不動産三田会、関西婦人三田会の元気で勉強熱心な方々多数。 会場はポートピアホテルご自慢のレインボールーム。
午後7時少し遅目の大人の時間から、婦人三田会の方々お目当ての晴雅彦さん、岸美香さんによるオペラの幕が上がりました。

モーツアルトの魔笛からパパゲーノを晴さんが、パパゲーナを岸さんが熱演・・・までは良かったのですが、終わってみれば、目を閉じると女装した晴さんのおぞましい顔のアップ、耳を塞ぐと晴さんと岸さんの猫の求愛の♪♪にゃあにゃあ♪♪迫る泣き声がこびりついて離れません。

オペラといえば、私は10年前ブタペストの劇場の天井桟敷席で睡魔と戦っていた経験があるぐらいですが、お二人のお陰で難なく入門を果たせたようです。
関西婦人三田会では会を挙げてオペラを楽しんでいらっしゃるとか。大勢の会員の笑い顔に包まれた例会になりました。(参加者:70名)

2002年6月号掲載

総会および懇親会レポート

大沢弘一(昭52政)

2002年通常総会が、5月24日メリケンパークオリエンタルホテルで54名の出席のもとに開催されました。
まず総会に先駆け、ストレスカウンセリングセンター所長前川哲治氏による「閉じこもり」の問題点というテーマで講演があり、現代社会の問題となっている「ひきこもり」についてお話していただきました。「ひきこもり」は、中年の父親が持っている競争心や物欲中心などの価値観の子供への押し付けに対する抗議でもあり、子供に対してもっと耳を傾けるべきで、特に中年父親の意識改革が必要との指摘には、改めて親として子供への接し方の難しさを認識した講演になりました。

講演が終わり2002年の通常総会となり、冒頭参加者全員が塾歌斉唱をした後、上島会長の議事進行のもと芦原幹事長より、重点課題であった「神戸慶應倶楽部の構造改革」の実績や同好会活動の内容についての事業報告、決算議案などの説明があり、無事承認されました。さらに、上島会長と芦原幹事長が退任されることになり、新たに会長に和田新会長が、また幹事長には堺新幹事長とする役員改選の議案も承認され、新たな体制でのスタートとなりました。

総会の後の懇親会では、参加者全員が各テーブル毎に運ばれた美味しい料理と会場からのすばらしい夜景を堪能しながら、新幹事の決意表明などが行われ、最後には今回幹事になった松尾新幹事による応援指導部のセーターを着用してのコンバットマーチまで飛び出し、幹事としての強烈なデビューを飾るとともに、新たに副幹事長となったミスター・オークション、ウッチーこと内山新副幹事長のいつもの元気いっぱいの『若き血』でお開きとなりました。

2002年5月号掲載

4月例会レポート

村上 功(昭39理工)

4月24日倶楽部ルームに於いて「音痴の話」と言う非常に興味あるテーマで、大阪音楽大学学長西岡信雄さんの講演がありました。

西岡さんは幼稚舎からの生粋の塾生で工学部3年次終了後、商学部に転部、卒業されたこと、在学中から大阪フィルのフルート奏者であったこと、さらには音大、芸大出身でない音楽大学の学長であることなど異色のご経歴の持ち主です。西岡さんのご専攻は「音楽人類学」であり「音痴の研究」が教育学、医学の分野で散見するが、音楽の領域では研究が殆どないことからこの研究をはじめられたとのこと。

いわゆる「音痴」は病気ではなく「能力のグラデーション」であり世の中に「音痴度ゼロ」の人はいないということを前提に、症状の分類、原因の分類を聴講者の爆笑の中ユーモアたっぷりに講演されました。
またカラオケ嫌いの西岡さんがこの研究のためにカラオケ通いをされたというのも興味深いお話でした。とても軽妙洒脱な講演の雰囲気は再現できませんが、当日聴講できなかった読者のために講演の内容を要約しますので会場の雰囲気を汲み取って頂きたいと思います。

○「音痴の症状」の分類 
 * リズム音痴:「間」が正しく取れない、いわゆる「マヌケ」、「マノビ」
 * 音程音痴:音程はずれ 
 * 音色音痴:発声がうまくできない
 * 情感音痴:情感を表現できない、治るタイプと治らないタイプがある。

2002年4月号掲載

3月度例会報告

加藤卓人(昭和61・政)

講師の道免会員

3月28日、「関西医療の中でのリハビリテーション医学」と題して、兵庫医大リハビリテーション部:道免和久さん(61医学部卒)においで頂き講演していただきました。
たとえば、脳卒中で倒れた場合、できるだけ早い時期(1~5ヵ月以内)に集中して専門医でリハビリすることが大切ですが、関西では専門のリハビリ病院が少ないため、なかなか入院できず、6ヵ月を過ぎた頃にリハビリを始めることも多いそうです。

結果として、回復がむずかしくなるケースや、回復が長期化し、入退院をくり返すケースが関東に比べて突出しているようです。そもそも、関西地区では、本格的なリハビリ科のある大学が関東と比べると少ないため専門医が養成できずそれが専門病院の不足する一因のようです。

現在、小泉首相の「聖域なき構造改革」の中で医療改革も検討されていますが、身近なテーマでもあり、大変勉強になりました。

懇親会は、中神先輩のご好意がテーブルを埋めた東天閣ご自慢の春の中華宴を満喫しながらの歓談。当日参会者も多く60余名に膨れ上がり、急遽テーブルを追加してもらう盛況でした。「若き血」はウッチ-こと内山会員が風邪で声帯損傷のため、野田敬二会員が音頭をとり、春の宴を締め散会しました。

2002年3月号掲載

2月度例会報告

金子 家隆(S40・経済)

2月26日、「プライベートバンキングについて」と題して講師にスイス国チューリヒ三田会副会長エリザベス・ボーナ・マウアーElizabeth Borner-Mouer Ph D(塾大学院卒)君においで頂き、BNP PARIBASでの経験を踏まえプライベートバンク(資産家の財産を総合管理し、資産運用や情報提供などを行う金融機関の業務)について易しく解説していただいた。その際、BNP PARIBAS東京支店の大隈民彦氏、相楽行孝氏もアシスタントとして出席され補足説明を行われた。

マウアー君よりはBNP PARIBASの生い立ちとグローバル プライベートバンク市場における存在について説明があり、その伝統と信用、資産規模などについて説明があった。 
BNP PARIBASは世界のメガバンクの一つで資産規模で約80兆円位で日本のメガバンクとほぼ同じサイズであるが、信頼性ではMoodysやStandard Poorsの格付機関よりAA+/AAを得ておりA/BBB+の格付しか得ていない日本のメガバンク(三井住友銀行、東京三菱銀行、みずほ銀行G、UFJ銀行G、)を大きく引き離しているとのこと。

残念ながら日本には欧米のようなノウハウを蓄積したプライベートバンクは存在しないとの話であり、個人資産が10億円を超える資産家を主として顧客とする金融市場の話であった。もし、塾員の方で個人資産が10億円を越え、人生の段階に応じた相談を必要とする場合には、欧米から多くのプライベートバンクが日本に進出してきているが伝統と信用のあるBNP PARIBASに相談してほしいとのことであった。

2002年2月号掲載

新年会報告

1月23日(水)、和田副会長が経営されている《グランメール芦屋》で新年例会が開催されました。
10月の例会の講演会で大好評を得て、次年度幹事長候補の堺副幹事長の素晴らしい司会でたいへん盛り上がりました。
最初に上島会長が年始のご挨拶をされたあと、徳丸公義副幹事長による講演会「今後を生き抜くために」を聴きました。

「会社編」と「個人編」に分かれ、「会社編」は13か条、企業が生き残っていく為の11か条“イエスマンを揃える”“会議ばかりする”“趣味に走る”などの危ない企業の要注意ポイントを明確に解説され、経営者にとっては大なり小なり胸に“グサッ”と刺さるポイントばかりで、それぞれ自分の会社を自己採点していたようです。(さすがに上島会長の会社はほとんど該当がないとのこと)

「個人編」では長引く不況の中で現在の経済環境と今後の潮流を簡潔にまとめていただきました。日本は今後も厳しい状況が続くが戦後の政治経済のパラダイムを新しい日本の再構築の為に一旦壊して再構築が必要とのことでした。

懇親会ではフォアグラを使った前菜から始まりデザートまで6品全てが美味しいものでした。和田副会長ご配慮ありがとうございました。
新入会員ではDMで入会された鈴木滋さん、産経新聞の記事を見て入会された松田明日香さんが紹介されました。

今回は4組のご夫婦でのご出席があり、奥様方にスピーチをしていただきました。そのウイットに富んだ素晴らしい内容に驚かされました。男性は如何に格好つけても、奥様の手のひらの上では踊らされているだけであるということがよく判りました。

(記:芦原直哉)

2002年新年号掲載

“Family X’mas Party” 12月21日に開催されました!

島野 諭(中3)
【島野 博会員(昭57経)のご子息】

「冬の家族例会」ということで、父と母に連れられ、「英国館」に行きました。
最年少かと思ったけど、4歳の男の子も来てたりしてホッとしました。
ぼくは、「英国館」は小学校の時に行った記憶がありますが、父は始めてということで、とても喜んでいました。     

歴史を感じる荘厳な造り、豪華で絢爛な調度品など、この館にはどんな人が住んでいたんだろうかと、思わず想像してしまいました。

最初、緊張気味だった父もぼくも、先輩の方々に声をかけてもらったり、ビールを飲んだりしているうちに(ぼくはジュース)、すっかりリラックスできました。
特にメキシコから来られたナンシーさんの鮮やかな華やかな踊り・ステップには、うっとりと見とれてしまいました。また、あっちこっちで楽しそうに笑ったり話ししながら、くつろがれる姿を見て、また次の時にも連れてきてもらいたいものだと思いました。

どうも楽しいひと時を、ありがとうございました。