月例会

2004年

2004年12月号掲載

2004関西合同三田会

前田 剛資(昭39工)

やっと秋の気配を肌に感ずる11月14日の日曜日、平安神宮に近い「みやこめっせ」にて開催されました。

まず受付を済ませると、茶席が用意され武者小路千家 官休庵家元のお手前でお茶をいただく趣向で、茶席には福澤先生の書が掛けられ、書の意に思い巡らし和やかな歓談の輪ができていました。式典までの時間を利用し、私どもは紅葉が色づき始めた南禅寺を散策し秋の風情を楽しみました。

式典は安西塾長、服部会長、主催者代表および7倶楽部、7三田会の14代表が壇上に揃い、11時半より始まりました。

さっそく挨拶、祝辞が始まり銭高会長、服部会長から、主に福澤先生が1858年慶應義塾を開くまでの歩みとその志、そして義塾の関西との深い関わりを興味深くお聞かせいただきました。

安西塾長の記念講演では慶應義塾が現在日本でトップを行く教育機関であると確信をしていること、創立150年をもって国際レベルで評価される大学を目指していることを力説されました。

塾長の講演からは(1)教育の充実(スポーツによる感動教育含め)(2)研究成果を高めかつ国際レベルへ(3)社会貢献(医療、ベンチャー)(4)大学経営の安定、について期するところがよく伝わってきました。

今年のキーワードは2008年に迎える「創立150周年」・「記念事業などよろしくご支援を」というメッセージが込められていました。

そして待望の懇親会に移り、祇園「一力」の舞妓さんから「菱岩」、「三友居」の京弁当をそれぞれ受け取り着席、さっそく芸妓、舞妓さんによる京舞の華やかな舞台が始まりました。京都の風情が会場をつつむなか、お酒と共に京弁当、鰊そば、寿司などおいしくいただきました。

宴がたけなわになるにつれ、舞妓、芸妓さんが席を廻り記念撮影と交流が始まり、和やかな秋の一日を楽しく過ごすことができました。

最後に我らが五代会長と西村但馬三田会会長より来年の関西合同三田会は、城崎温泉西村屋を会場に開催することを宣言し閉会となりました。
【写真提供:西出晶子(昭48法)会員】

2004年11月号掲載

10月例会報告

池田 雅彦(昭39工)

10月例会は10月15日(金)倶楽部ルームで開催されました。
いつものように淡路屋さんの特注弁当に舌鼓を打った後、昭和54年法学部卒(馬術部出身)で、シドニーに続いてアテネでも『パラリンピック』馬術日本代表の監督として活躍された三木則夫会員から、私たちがめったに聞けない貴重なオリンピック裏話をお聞きしました。

シドニー、アテネの各オリンピック会場の比較、そしてシドニーで初めて正式種目になった馬術を通して『パラリンピック』(*)特有の課題など、我々も考えさせられることの多いお話でした。

アテネでは開会式も閉会式も満員の観客がスタジアムを埋め尽くしたそうですし、必ずしも十分とは云えなかったとの話ですが、バス、道路、そして観光地パルテノンのアクロポリス丘上まで車椅子への対応がなされていたと聞き、パラリンピック開催国の大変さを考えさせられると同時に、精一杯やったギリシャに拍手を送りたい思いがしました。

『パラリンピック』は欧米の先進国ではさかんにメディアが取りあげていたようですが、日本ではNHKが深夜にテレビ放映する程度でした。 日本選手のほとんどが自腹で練習しているのに対して欧米ではスポンサーがつき、その結果メディアも積極的に放映しますし、パイロット(全盲者などの伴走者)がついてゆけないほど優秀な選手やプロの選手も生まれていると云います。私も含め日本人全体の『パラリンピック』に対する認識の遅れを感じざるを得ませんでした。

義足、車椅子、その他競技に必要な補助器具の進歩はめざましくシドニーとアテネでは随分と変わったそうですが、裕福な先進国や身体障害者に親切な国とそうでない国との差が競技の結果にまで影響し始めているとのこと、『パラリンピック』はどんどん進展し、われわれの知らないところで変化し続けているとの印象を強くしました。

最後にデジタル・プロジェクターで見る両下肢切断(グレードⅢ)や片腕・片足切断(グレードⅡ)の選手がドレッサー(馬場馬術)に真剣に挑む姿は印象的でした。
来る11月13日(土)神戸慶應倶楽部では三木会員が主催する明石乗馬協会で体験乗馬会を開催します。彼らの気迫に負けないように当会員の皆さんも馬場馬術にチャレンジしてはいかがでしょうか?
(*)『パラリンピック』はParallel Olympic(もうひとつのオリンピック)の略でParalysis(肉体の麻痺)とは関係ないとのことです。

2004年10月号掲載

9月例会報告

槌橋 眞美(昭47法)

9月度例会が9月17日(金)倶楽部ルームにて開催されました。
講師には当倶楽部元会員で、囲碁同好会の世話人をされていた鈴木 滋さん(昭50商)を迎えて、年輩の方々から若年層まで、中国に興味のある方々が集い、大変蒸し暑い中大盛況でした。

鈴木さんは富士通テンの中国無錫の現地法人である「富士通天電子有限公司」の総経理(社長)であり、1997~2000年には天津にて同様の工場を立ち上げ、今後は中国を本拠地として、活動するその直前のお時間を割いていただきました。

体制の異なる国での合弁事業は、日本では考えられない事の連続で、資本金の払込みにおいて、国営企業が現物出資(設備)の評価額をし、キックバックを求められたのを解決した件、雇用契約における注意点等々、生のbusinessの話をしていただきました。

又、中国の現地の新聞に掲載される記事から、興味深い情報を数字をあげてお話しいただきましたが、この欄に掲載しかねるお話もありました。興味のある方は当日の出席者にお尋ね下さい。身近な生活面では、買物は100元の値札なら20元から交渉せよとのことでした。

 

NHKの中国語講座を繰り返しビデオで見て学び、現地で個人教師に教わったとは言え、現在の語学力は猛勉強の賜物とお察しし、頭が下がる思いです。

当日の出席者の中には、以前中国ビジネスに携わっていた方、現在中国から物資を購入している方等多数おられましたが、鈴木さんは中国人にカーナビを売るために、中国を本拠として活動しようとなさっている訳で、時代の流れを切々と実感させられた事でした。

2004年9月号掲載

8月例会報告 ビアパーティ

芦原 直哉(昭50経)

8月度の例会が8月23日(土)にホテルオークラのビアガーデンで開催されました。
今年は過去に例を見ない猛暑ですが、台風の後ということもあり漸く秋の気配が見えかけた夜でした。夕方6時30分のガーデンはビールを楽しむには最適のとても心地よい状態でした。

アテネオリンピックは日本選手のメダルラッシュに沸いておりますが、会場では、何と大型スクリーンでオリンピックを中継しているのです。オリンピックを観るために例会を欠席された方がおられるとしたら残念です。

さて、例会はビアガーデンということもあり、五代会長の挨拶で始まり、後はオリンピックの中継を観る暇もなく懇親の輪がテーブルのここかしこに広がりました。

盛り上がったところで、新入会員の六拝(ろくはい)英彦さん(昭44法)と三木和歌子さん(平13文)の挨拶がありました。若い方の入会が望まれる当倶楽部で、三木さんにはぜひこの楽しい雰囲気を若い人に教えていただき、会にお誘いいただきたいと思います。

楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、市居先輩の締めの言葉でお開きとなりました。
恒例の若き血を歌うことができなかったのが少し残念でございました。このまま帰るが惜しいという諸兄は二次会に繰りだしたのでした。
新しい幹事の皆様の素晴らしい企画をありがとうございました。(出席者は25名でした。)

2004年8月号掲載

サマーパーティ報告

志原 照造(昭38政)

例年は暑い、カンカン照りのなか出席するサマーパーティですが、今年は違いました。
数日前から台風が接近してきて、会員皆様の大半が、31日午後の台風の進路はどうなるのかとテレビの台風情報に釘付けとなりました。

はたして暴風雨の中で出席できるのか、やきもきした開催日前数日でした。しかし、会員皆様の日頃の行いが良いためか、台風は横にそれ、無事開催の運びとなり、家族例会でご夫人やお子様も多数出席され全員で50数名を超える盛会となりました。

最初に平成2年法卒で会社勤務の傍らジャズを勉強中という團 裕子さんが藤井美恵子さんのピアノ伴奏で成果を披露。軽やかなジャズを数曲聴くうちに、上品な明るいムードが盛り上がってきました。
その後、役員諸氏の挨拶も要領を得たもので、うまく簡単明瞭に行われました。
そして、美味しい料理に舌鼓をうちながら、1年ぶり、数ヶ月ぶりに顔を合わす会員等、和やかに懇談が続きました。

さてさて、その後、会員全員のお目当ての「オークション」が始まりました。

ウッチーこと内山景介幹事の名司会で進行し、
その場その時の名セリフで、この人の本職は一体何だろうか?と感心させられた方も多かったことでしょう。会員皆様の心尽くしの品物提供と買いぶりで、どんどん進行しました。

今年は、品物を見て値段を吊り上げていく通常のオークションとは反対に、何が入っているか中身が分からないで、一定の値段で売る福袋が10数個用意されて、新幹事団の名企画ぶりに感激、感謝しました。会員全員一団となり時間の経つのを忘れさせる数時間でした。
倶楽部財源に協力すべく売上げ合計額18万円を超えるとの報告がありました。

会員仲間がよく話す「慶應義塾は、在学中はあまり良い大学とは思われなかったけれど卒業して年が経つほど、やっぱり良い大学へ行って良かったと思えてくる。」という、塾員のまとまり、倶楽部の良さを改めて実感させられた一夜でした。

当日のパーティのスナップ写真を倶楽部ルームに掲示しています。ご希望の方にはプリントいたしますので、お申し出ください。(編集部)

2004年7月号掲載

6月例会報告

阪本 豊起(昭49法)

先月の総会で新しく選出された五代友和会長、徳丸公義幹事長のもとでの最初の例会になる6月度例会は神港ビルヂング509号室の倶楽部ルームで開催されました。
倶楽部(部屋と事務局)を持っている全国でも稀有な地域同窓会として、自前の倶楽部でゆったりと楽しむ例会が持てるのは贅沢このうえありません。会費も2000円で負担がかかりませんし、時間も(遅刻しても終了が遅くなっても)気にする必要はありません。

この日の出席者最年長は昭和24年経済卒の斎藤光豊先輩、学生時代タンゴで生計を支え、東レの副社長を勤められた自称右翼青年で、倶楽部にはこの例会がデビューの新入会員でもあります。

最年少は石井登志郎君、総合政策学部一期生(平6)で国政を目指しております。流石スピーチはピカイチでした。
最遠方の会員は芦原直哉元幹事長、東京からですが相変わらず神戸でも大活躍です。紅一点は玉田和子さん(昭46文)。玉田さんの結婚式に和田憲昌前会長(37法)が来賓としてスピーチをされたとのエピソードも会長を五代さんに譲って気楽に出席された和田さんご自身から披露されました。

伊藤康之介さん(昭45商)も古い会員さんで、お顔を合わせるとほっとします。工藤守君(平4商)は忙しい銀行勤務の間を抜けての出席です。瀬尾宏郎(昭34経)井上光(昭35法)浅沼清之(昭36経)前田剛資(昭39工)近藤正(昭39商)八巻晤郎(昭40経)山上高弘(昭52経)井上祥(昭56法)の皆さんも近況やら時事問題を口論し、あっという間の3時間でした。話し足らない(飲み足らない)12名は2次会で更に盛り上ったとのことです。

倶楽部の雰囲気でゆっくり贅沢な時間を共有することができた例会でした。

2004年6月号掲載

『就任ご挨拶』

神戸慶應倶楽部会長 五代 友和(昭37商)

このたび、とうとう会長職をお引き受けすることになりましたが、振り返ってみますと、諸先輩方が営々と築き上げられた神戸慶應倶楽部の歴史と伝統は、歴代会長、幹事長のリーダーシップと会員の皆様の積極的なご参加と活動でいよいよ充実して来たと思います。

三田社中とか、塾員という独特の表現で結ばれている我々の同窓意識は、特に自前の倶楽部ルームを持つという恵まれた環境にある我々神戸慶應倶楽部は、世の中にもまた、他の三田会にも類を見ないものだと思います。そして今や、多くの同好会活動も活発で、その存在感はますます大きくなっています。

会長という大役を仰せつかりましたが、あらためて曽ての濱根会長をはじめ多くの諸先輩に導かれて今日あることを思い、そのご恩に報いるためにも精一杯お役をつとめねばと存ずる次第です。

ただ、今は激動の時代、戦後60年を経て、世の中の構造が大きく変わろうとしています。経済情勢の先行きも混とんとしていますし、社会の多くの歪みが出ている時代です。こんな時こそ、我々メンバーが、互いに切磋琢磨し、また、やすらぎを得ながら、同時に自分自身を高めていく場としての神戸慶應倶楽部であり続けたいと願っています。

会員の皆様が、楽しい雰囲気の中で、また無理せず参加していただけるよう工夫もしたいと思いますが、何よりも皆様方のご協力をいただきながら、皆様とともに楽しい場にしていきたいと思います。
いろいろとご指導やご協力を下さいますようお願い申し上げます。

幹事長挨拶 

神戸慶應倶楽部幹事長 徳丸 公義(昭54商)

このたび、幹事長を仰せつかり身の引き締まる思いです。神戸慶應倶楽部は、歴代の会長および幹事長を中心としました役員・幹事、そして会員の皆様のご尽力により、毎月開催される例会及び盛んな各クラブ活動並びに非常に高品質なBRBに代表されますように、その充実ぶりは近隣の慶應倶楽部や三田会はもちろんのこと関東方面へも聞こえるほどです。

私が神戸慶應倶楽部へ入会させていただいた当時の幹事長は、福井先輩でしたが、その後芦原先輩、堺先輩といずれの方々も倶楽部の運営と発展に大きく寄与・貢献されました。こうした先輩幹事長が築き上げました有形無形の財産を大切にするとともにこれにいっそう磨きをかけ、次の世代に引き継ぐことが私に課せられました使命であると自分に言い聞かせております。

倶楽部とは単に同窓会を開催するところではなく、慶應義塾を愛する同好の士の集いの場であるとともに、憩いの場としての性格を併せ持つところでもあります。幸い、神戸慶應倶楽部には立派な自前の倶楽部ルームがあります。

今後はこれを今まで以上に活用することにより、会員の皆様に倶楽部に行けば楽しい何かが見つかる、素敵な誰かに会うことができるという期待をしていただけるような会の運営を心がけていきたいと思います。
たいへん微力な私ゆえ、皆様方の暖かいご協力とご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします。

新幹事団をご紹介します。
副幹事長:堀・山上・市川・茂木立・中内仁・塚本
幹事:近藤・八巻・林・島田・梶田・井上祥・坊垣・竹谷・中内豊・村尾・森本(泰)・松尾・松岡・堀越・畑・坂本(卒年順)

総会終了後は、会場提供の黄 耀庭先輩(昭29経)の乾杯のご発声に続き、和やかに懇親会が進められました。
美味しいお料理とワインで更なる親交を深めた有意義な総会でした。

2004年5月号掲載

4月例会報告

王鞍 延子(平4文・12経)

今回は、樫尾観蔵さんのとても身近で、考えさせられるお話でした。
テーマは「老人福祉問題」、大切な事は二点あったように思います。
まず一つは、何でもやるという精神の大切さであり、二つ目は、介護老人保健施設の現状であります。

最初の件については、長年ホテルという資格保持者が少ない職場にお勤めになり、定年退職後介護施設という従業員の殆んどが資格保持者という職場での9ヶ月お勤めのご体験から、現在のお考えとして、どちらの職場においても、「何でもやるという精神」、すなわち「雑用をやりませんといわない精神」が大切であるとお話になりました。

次の件については、ご自身が事務局長をされている介護老人保健施設ケアヴィラ伊丹のお話を中心に、2000年4月からの介護保険で成り立つ施設の重要性について述べられました。

もし、これらの施設が無い場合には、親族の介護は、自分たち家族が看るか、あるいは、有料施設に入所するしかないが、介護施設のおかげで堂々と給付を権利として受けることができるようになったのだとのことです。しかしながら、財政的問題が生じはじめており、申し込み増加に対して審査が厳しくなっているとのことです。

以上二つのことを中心に、施設における細かい介護の仕方や、実際の夫々の介護に応じての費用の額や、施設における個人の状態に適した設備の事など具体例を示しながらお話しくださいました。
高齢者に足を一歩踏み入れかけている私にとりまして、とても貴重で有意義なお話を聞かせていただきましたことを感謝いたしております。

2004年4月号掲載

3月例会報告

野田 敬二(昭58経)
(平成16年3月26日 「東天閣」にて)

ラグビーファンの皆様、お待たせしました。
スティーラーズのフランカーとしてご活躍の野澤武史氏(平成14年卒)の登場です。

野澤氏は、2年前に神戸製鋼所に入社後、スティーラーズとプロ契約を締結され、今季のトップリーグでは見事、優勝されました。野澤氏によりますと、ラグビーとは「闘争」そのものであり、フランカーの役割は100メートル×67メートルの芝の上のうち、一畳分の畳の上を死守することにあると言われました。

また、大学ラグビーとトップリーグの実力の差は、「ネコとライオン」にまで広がっているとのことです。大学ラグビーでは、限られた4年という時間の中で結果を出すことが求められているため、頭で理解した上でのスマートな練習をこなせる選手が実力を発揮する傾向にある。一方、トップリーグでは畳一畳分を死守すべく、愚直なまでの「ひたむきさ」が練習に求められているとのことです。

野澤氏のプレースタイルについて、私見を述べさせていただくと、フランカー野澤氏が、一度ボールを持つと、味方選手14人は、「どこかを破壊するだろう」との確信の下に新たな動きに出ます。敵方にとっては「味方のどこかの防御線が突破されるのではないか?」と浮足立ちます。そしてスタンドの観客もこれはビッグチャンスに結びつくのではないかと大歓声を送ります。したがって、野澤氏がボールを持った瞬間、競技場全体の気温が一気に10℃ぐらい上昇したような雰囲気に包まれるのです。

上記の私見について理解が困難な方、どうか競技場に実際に足を運んで、フランカー野澤氏を観戦して下さい。テレビやスポーツ新聞では、伝わらないフランカー野澤氏の闘志がきっと伝わってくると思います。

最後になりましたが、東京からわざわざ駆け付けていただいた松永敏宏氏(昭和60年・商学部卒)をはじめ、慶應ラグビー部OBの方々には、深く感謝したいと思います。
有意義な企画ありがとうございました。

2004年3月号掲載

2月例会報告

森田 和男(昭40商)
(芦屋三田会・関西ワグネル三田会)

神戸慶應倶楽部の2月例会はメリケンパークオリエンタルホテルのマリンホール(チャペル)にバリトン歌手木村俊光氏(桐朋学園大学教授)をお迎えして開かれました。(伴奏は川島伸達氏

補助席を入れての満員盛況でしたが、この世界的な歌手をお迎えするには狭いホールでした。その分、歌とおしゃべりの楽しいムードの贅沢なミニコンサートでありました。木村先生は大阪フィルハーモニー交響楽団と「第九」や定期演奏会等で共演が数十回に及ぶほど関西になじみが深く、熱心なファンが多くいらっしゃいます。

曲は、声楽家が最初に学ぶ歌として「Caro mio ben」(恋しき君)を歌われました。それから木村先生の楽しいトークが始まり、モーツァルトのオペラ「ドンジョバンニ」から従者レポレロが歌う「カタログの歌」では本領発揮といったところです。木村先生の音域はバリトンですから主役のドンジョバンニを演じたことは数多くあるのですが、準主役のレポレロ(バス)を演じたことが無いそうです。音楽仲間で冗談に言う「テノールばか、バリトンすけべー、バスのんべー」と合わせて「かの有名な藤原義江さん(テノール)は音域の広い方だった。私も音域が広い。」と意味深なユーモアを披露されました。

声楽家は色っぽい、とよく言われますが、オペラの世界では常人がなしえない色恋の物語を代表して演じてくれますので、それにまつわる逸話が喧伝されることが多くあります。曲は、イタリア語からドイツ語へ移り、シューベルトの「楽に寄す」(An die Musik)とシューマンの「二人の擲弾兵」を歌われ、15年もいたデュッセルドルフ歌劇場でしたがドイツ人気質に戸惑いを感じつつ、日本へ、心は故郷札幌へ飛んでいくのでした。

曲は、梁田 貞(札幌出身)作曲「城ヶ島の雨」、高階哲夫作曲「時計台の鐘」(札幌市歌)を南 安雄(札幌出身)編曲で歌われました。アンコールは平井康三郎作曲・石川啄木作詩「ふるさとの」そして「慶應義塾塾歌」。これほど力強く気品ある「塾歌」が神戸で歌われたことはかってなかったでしょう。

この後開かれた懇親会でも木村先生による「塾歌」ご指導があり、会員の皆様の歌唱力が相当レベルアップされたことを信じます。これを機会に懇親会の冒頭で「塾歌」を斉唱されてはいかがでしょうか。懇親会は、和田憲昌会長のご挨拶、オペラ研究家青戸統子さんの乾杯発声で始まり、木村先生を交えての楽しい交流とオリエンタルホテルご自慢の料理で時の経つのも忘れるほどでした。関西不動産三田会の永山克彦会長の中締めと会場いっぱいに円陣を組んで「若き血」斉唱でお開きとなりました。感謝。

2004年2月号掲載

1月例会報告

芦原 直哉(昭50経)

関西不動産三田会と合同の新年例会が去る1月16日(金)に中内副幹事長経営のポートピアホテルレインボールームで80名を越す参加を得て盛大に開催されました。

冒頭、当会の和田会長と関西不動産三田会の永山代表世話人からご挨拶を頂き、引き続き堺幹事長と佃事務局世話人からお互いの会務報告がありました。
関西で最も活動が活発だといわれる両三田会がお互いの活動に理解を深めたことと思います。

続いて浦上忠文神戸市会議員から講演者である北口寛人会員のご紹介と、年頭にあたって考えたこと「新人になろう!」(書初めに書いたとのこと)ということについて話がありました。常に現状に満足するのではなく新人になって新たなことにチャレンジしようという趣旨で"何時にも増して"素晴らしいお話でした。

講演会では、現在の地方行政の現状について北口明石市長からお話がありました。北口さんは平成元年卒の38歳です。その若さと行動力でこれまでの魑魅魍魎とした行政、そしてほぼ破綻している地方行政の再建と毎日体を張って戦い、取り組んでいる奮闘振りが良く分かりました。 

 

質疑応答では、地方行政に対する国民の怒りを代表して会員から鋭く厳しい質問や意見が出ました。北口さんの改革を皆で一緒に応援したいものです。

例会の後は、関西婦人三田会の会長でもある芳川玲子会員のご発声で乾杯を行い、懇親会が行われました。美味しいポートピアホテルの料理を楽しみながら、両三田会の交流の輪が広がって行きました。

2004年新年号掲載

12月クリスマス家族例会レポート

辰野 芳之(昭42経)

今年は秋から冬にかけ、暖かい日が続き山にはまだモミジが残っていましたが、師走12月19日関西地方に木枯らし一番が吹き荒れ、本当に寒い一日になりました。
我らがクリスマス例会の会場、神戸の夜景を眼下に見下ろす<THE HOUSE OF PACIFIC KOBE>には、お子さまや家族など約60人が集い、この倶楽部の雰囲気そのままのアットホームな暖 かさで一杯でした。

和田会長の挨拶、五代副会長の乾杯で、宴は開始、料理は日欧亜の温かいあるいは冷たいキュイジーヌが並びました。シャンパン、続いてビール、ワインが出る頃には会場もすっかり和み、わいわいがやがや、ひとしきり食事が進みました。みんなのお腹が落ち着いた頃を見計らってウッチーこと内山幹事の司会に招かれ相愛大学のお嬢さん2人が登場。フルートデュオによるポピュラーなクリスマスソングなどでさらに雰囲気を盛り上げてくれました。

 

この後は、いよいよ期待のオークションの始まりです。
ウッチーの独壇場と思いきや、幹事のみなさんの口上もなかなか商売上手!
“0二つはだめだよ、0三つ以上からだよ!”の縛りも効いて売り上げは157,000円と好調。昨年に比べると大分減ったようですが、それでも倶楽部運営には大変ありがたいものでした。

今回は、やはりタイガースグッズが多かったこと、タオル王(?)が購入を手控えられたことなどが印象に残りました。

高橋副会長の中締め、恒例の若き血斉唱で、あっという間にお開きを迎えたのでありました。
始めてのクリスマス会参加でしたが、幹事のみなさんのお世話により本当に楽しい会でありました。“感謝!感謝!”改めて神戸慶應倶楽部の良さを感じながら、北風の街へ、そして帰途につきました。

当日の写真アルバムを倶楽部ルームに掲示しております。ご希望の方にはプリントいたしますので、お気軽にお申し出ください。(編集部)