福翁百話
私は座右の書と聞かれるなら躊躇なく「福翁百話」を挙げる。
その序言にいわく。
「余は元来、客を悦んで交わるところすこぶる広し。客散ずれば一時の雑話これを意に留めざるの常なりしかども、さりとは残念なりと心づき、かって人に語りしその話を記憶のままそれこれと取り集めて文に綴り、およそ百題を得たり。(中略)読者もしこの漫筆を見て余が微意のある所を知り、無形の知徳もって居家処世の道を滑らかにし、一身一家の独立よく一国の基礎たるを得るに至らば望外の幸甚のみ。」明治29年2月15日 福沢諭吉
記
実に一世紀を越える昔に説かれたものが、今そのままに人生訓として生きている。序言を読んでも、福翁の気合いが伝わってくるではないか。文意は明快、ユーモア、風刺が効いて思わず吹き出すこともしばしばである。
ご承知かと思うが、教育論喧しい昨今、敢えてその辺の一話をご紹介したい。
「身体の発育こそ大切なれ」(31話)
「父母の子を養育するはもとより天然の至情にしてまた義務なり。その法いかがすべきやというに、まず第一に子の産まれ出たる時は、人間の子も一種の動物なりと観念して、その知愚如何は捨てて問わず、ただその身体の発育を重んずること牛馬犬猫の子を養うと同様の心得をもってして、衣服飲食の加減、空気光線の注意、身体の運動、耳目の習養等、一切動物の飼養法になろうて発育成長を促し、獣体の根本すでに見込みを得たる上にて徐々に精神の教育に及ぶべし。
――(中略)――
とにかくに身体は人間第一の宝なりと心得、いかなる事情あるも精神を過労せしめて体育の妨げをなすべからず。わかり切ったることなるに、父母のみならず、教育専門の人までもこれに心づかずして、幼少の時よりむつかしき事を教えて子供の心を労せしむるに憚らず、よく合点すれば怜悧なる子なりとて誉め囃すのみならず、少し稽古に怠れば叱ることさえあるゆえ、子供心にも人に誉められんとして自然に勉強の念を起こし、次第にその習慣をなせば身体の衰弱を覚え、食物に常なく、いよいよ活動を嫌い、ようやく成長しても友達と群れをなすこと能わずして独り読書に耽るのみ。
父母はその病身なるを心配するとともに、またその勉強するを見てひそかにこれを悦び、わが子は他の群児に異なりとてなお得意なる者多し。実に沙汰の限りにしてかかる子供が成年に至るまで斃れざるこそ不議なれ。たとい僥倖にして存命し、所望のとおりに学業を卒りたればとて何の役に立つべきや。家のためにも国のためにも無用の長物というべきのみ。まず獣身をなして後に人心を養えとは我輩の常に唱うるところにして、天下の父母たる者は決してこの旨を忘るべからず。注意に注意してなお足らざるべし。」
私が転職したのは37才の時で、若気の至りであったが「事物を軽く視て始めて活発なるを得べし」(13話)に勇気づけられるところ大であった。「人間の心がけはとかく浮世を軽く視て熱心に過ぎざるにあり」と訓える。
読むほどに、繰りかえすほどに我が意を得たりの感が深まる百話である。
処世の道・・・そう、人生には就職、結婚などを始めとして数多くの選択に遭遇する。これまでに私の最良の選択のひとつは紛れもなく慶應義塾を母校としたことだ。
「あゝ、美しき三田の山 第二の故郷三田の山 共にむつみし幾年は 心に永くとどまらん 月去り星は移るとも 夢に忘れぬその名こそ・・・・」
卒業以来、今日までの社中の関わりあいに深い感謝の念で充たされるのである。
(終わり)
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