日中間における習慣・考え方の違いについて
日本と中国との友好と交流をテーマにしてきた私の連載も最終回となりました。
ところで日本と中国とはどちらも漢字を用いているので、「同文同種」といわれることがあります。しかし実際には習慣や考え方に随分と違いがあると思います。
まず「あいさつ」。日本人の場合、たとえば「いい気候になりましたね」「今日は、あいにくの空模様ですね」など季節や天気の話題から入ることが多い。しかし中国人は違います。いきなり「今日、食べたか?」。かつて中国では長年にわたって庶民は貧しい生活を余儀なくされていました。今日が暑いか、寒いかなんてどうでもいい。とにかく食べることが最優先でした。その名残だと思います。今朝も母親から電話がありました。もちろん第一声は「食べたか!」。
次に「水に流す」。日本では「水に流す」といって過去を故意に忘れるか、不問に付すことがあります。しかし中国では違います。過去は忘れるものではなく、現在、未来へとつなげていくものという意識が強く、それゆえ常に歴史を重んじます。だから中国語には日本でいう「水に流す」という意味の表現はありません。
また「水」自体に関する認識も違っています。日本は水資源に恵まれてきました。しかし中国では、揚子江や黄河流域などの一部を除いて、乾燥した地域が多い。水は貴重品でした。以前は風呂に入るのも一週間に一回ていど。通常は手足と顔を拭くぐらい。私は今でも水道の蛇口から水が出っ放しになっているのを見ると、どこであろうと栓を締めまわっています。
次は「以心伝心」。日本人には、お互いに気心が知れてくると、ことさら言葉にしなくても自分の考えが相手に通じると思い勝ちですが、そういうことは中国人にはありません。中国では過酷な歴史が続いたために、隣の人が何をしようが自分には関係がない。とにかく自分さえ生きていければいい、という意識が培われました。そういった歴史のなかから必然的に強い自己主張が生まれたのです。はっきり言わないと相手に通じないし、言われないうちは相手の考えを知ろうとしない。だから日本では、とくに意識しないまま他の人と同じ考え方や行動をとる人が多いですが、こういったことは中国ではあまり見受けられません。
中国には「落葉帰根 落地生根」という言葉があります。前者は、他所の国で成功しても、いずれは自国に帰って骨を埋める、という意味。いわば故郷に錦を飾るということです。後者は、自分が今働き生活をしている土地に骨を埋めることです。日本人は前者、中国人は後者だと思います。中国人は、その土地で懸命に働いて、その土地の人間として一生を終える。神戸の華僑がそうです。その土地に骨を埋める覚悟があるので、地域への貢献や子弟教育にも力を注ぎます。
これに関連して「十年樹木 百年樹人」という言葉もあります。十年先のことを考えるなら木を育てなさい、百年先のことを考えるなら人を育てなさい、という意味です。神戸の華僑が子弟教育のために、神戸中華同文学校を設立したのも、まさにこの精神だと思っています。その土地に根づく「落地生根」を旨とする以上、華僑社会と自分たちが生活を営む地域社会の発展を担う次代の人材育成の重要性は、何ものにも替えがたいものです。
私は日ごろから「真誠相待」という言葉を座右の銘にしています。これは真心、思いやりの心で人に接するということです。相手の立場に立って相手の気持ちを考える。そうすれば相手もこちらを理解しようと歩み寄ってくれる。お互いに習慣や考え方の違いを認め合うことから本当の相互理解が生まれ、交流が始まります。こういう気持ちがあれば争い事は起きません。日本と中国との関係もそうです。しかしそのためには日々の努力も必要です。私はこれからも日々精進し、日中友好のために少しでもお役に立てればと思っております。
(終わり) |