『タイガー ジャージ』(2)
ケガと闘い グラウンドに復帰
ラグビーにケガはつきもの。
例に漏れず私も一年生で首を捻挫。頭を蹴られて裂傷出血、麻酔なしで五センチ縫った。一年生の時、出場した東大戦では靭帯と半月板を損傷。手術で半月板をとり、靭帯を縫い一ヶ月程入院した。走れない私は練習に参加できず、落ち込んで退部まで考えた。しかし、仲間の励ましで二年生秋から練習に復帰した。
ピョコタン、ピョコタンと不細工な格好で走ろうと努める私に、兵庫高校のOBで高橋正昭という当時の監督が、棒で私の尻を叩きながら「まともに走れ走れ」と言いながら一緒に走ってくれた。手術した医師に、「回復は五分五分、将来はリュウマチになること保証付」と言われた私だが、今時点でリュウマチとは無縁である。 監督や仲間みんなの励ましで半年、リハビリを兼ねてピョコタンと走り続けて練習し、地獄の夏合宿もこなして、シーズンに入って試合に出してもらった。棒でたたかれても走れたのは、監督が、たまたま高校の先輩で、目をかけてくれたお蔭ではなかっただろうか。四年生では練習試合で右鎖骨を折って二試合出られなかった。しかし、現役に復帰できたのである。
ケガは多かったが、一つのポジションに四人の控え選手がいるから、競争原理で取り合いになる。ケガしたら、次のヤツに出番が回る。そういう時代だったな。一軍選手が他校チームと試合する以前に、自校のチームの中で勝たなければならず、ケガをすると、もう試合に出られない現実が待っていた。 「坊ちゃん校」が猛練習
私が入部した時、さすが優勝候補と言われるだけあってラグビー部員は百名以上、慶応高校出身と地方出身が半々だった。慶応は「坊ちゃん学校」だが、あにはからんや、先輩は「お前ら、技倆も体力もとんでもなく下手だ。他校より二倍、三倍練習しないと勝てねぇぞ」と言う。
ではどうすれば勝てるか。「(他校の)倍以上練習しろ―」放課後三時くらいから夕方まで、時には真っ暗になるまで、猛練習、猛練習の連続で、時間も長く、内容もきつい練習でしごかれた。無論ラグビーは楽な練習で勝てるスポーツではないが、慶応という世間のイメージに程遠い、こんなに泥くさいチームだとは夢にも思わなかった。
「もてたい」夢砕く新人鍛錬
高校卒業直後は、こんなしんどい、汚い運動はやめだ。大学に入ったら、絶対にラグビーはすまい、と思いながら、私が慶応の「タイガー
ジャージ」に憧れたのは、慶応ラグビーは、カッコいいから、女の子にもてるという一念が心の底にあったのかもしれないが―。
我々一年生二十人はチームを組んで、いつも上級生の練習台を務めさせられた。上級生は、どんどんメンバーチェンジして、新しいメンバーに替わって対戦する。しかし、我々一年坊主の新人は最初から最後まで連続して試合に付き合わされた。鍛錬かもしれないが、終わっても我々は「たるんでる!」と言われてグラウンド回しされたり、タックル練習をさせられたり、別な方法でしごかれた。えらいチームに入ったな、と思ったものだが、チーム力は保たれた。 |