会員便り(新入会員紹介)

2011年

2011年11月号掲載

~~白鹿酒造館訪問~~

齋藤 洋邦(平12商)

先日、縁あって辰馬本家酒造株式会社さんの工場並びに酒造館を見学させていただきました。皆さんもご存じのことと思いますが、およそ350年の歴史を持つ会社で、震災の被害にあいながらもなんとか生き延びた蔵もあり、大変興味深く拝見させていただきました。

ここで大変だったのが、その内容をハワイからのお客様に同時通訳することでした。お酒は日頃から飲みますが、味も分からない若造のためお酒に関する知識は美味いか、もの凄く美味いかといった程度のもの。これはよく説明を聞かなければ、ということで、大変勉強になりました。

皆さん、お酒の出来る過程ってご存知ですか?詳細は大澤先輩にお任せするとして、まあ手間のかかる作業なんですよ、これが。まずそもそも酒米の削り(磨き?)度合いによってお酒のグレードが変わるというところに驚き、蒸した酒米を3段階(麹用、酒母用、掛け米用)に分けて加える、またその冷やし加減も異なるとか・・・。色々な金を足し、寝かせ、ろ過等などの工程を経て美味しいお酒は生まれます。辰馬さんのモットーは「お酒は造るものではなく、育てるもの」まさに、それに等しいだけの労力と時間をかけてお酒が造られることを学びました。

六光館と呼ばれる工場では、昔は人の手だけで作られていたものを全て機械で管理し、微妙な温度調整まで行われています。しかし、その一角には今でも従来の方式で手作りで作られているお酒もあるとのこと。どちらが美味しい等はまず私にはわかりませんが、一度飲み比べてみたいものです。

そのあと、瓶詰・仕訳・発送が行われている工場も拝見させていただきました。そこではお正月向けか、金箔入りのお酒の瓶詰が行われていました。とその横ではペットボトルにお酒を入れる工程もあり、今更ながらペットボトル入りのお酒があることに驚いた次第です。また、そこでは白鹿ブランドのさまざまな綺麗なボトルも陳列されており、思わず写真に収めさせていただきました。

続いて拝見させていただいたのが酒造館。ここは阪神大震災の影響を受けながらも、運よく隣のコンクリビルに支えられ生き残った建物。現在中は鉄骨で補強されていますが、基本的には昔の造りでそのまま残されています。まず目を引いたのがその昔酒樽を載せた荷車を港まで運ぶために空くられた石の道。ほぼ電車のレールのようなイメージですが、長い歴史を感じ感動いたしました。館内に入ってまたびっくりしたのが、昔ながらの蒸し釜や、火事場がそのまま残っていたこと。さらに奥に進んでまたまたびっくりしたのが、ろ過機。圧力をかけてお酒をろ過するのですが、何ともまあ素晴らしい仕掛けで。詳しくは皆さん、実際に訪れて体感してみてください。

最後の方に各地方のお猪口が陳列されていたのですが、そこにあったべく杯。天狗とおかめとひょっとこの例のやつです。その説明をハワイからのお客様にしたときに、その日最高の笑いがとれました。

2011年9月号掲載

~~自転車の旅~~

渡邊 留美(平10環)

今年は短い梅雨の後、急に真夏の暑さとなり、8月に入ってからは連日の猛暑が続いております。BRB9月号が発行される頃には少し秋めいた風も感じられるようになっておりますでしょうか。全国的に節電モードとなり、冷房も控えめに、扇風機やうちわなどが久しぶりに大活躍の今夏かと思います。

さて、学生の頃は持て余すほどの長い夏休みを満喫しておりましたが、当時はそれが当たり前と思って過ごしておりました。今となっては、その貴重さにも気づかず過ごすことこそが何と贅沢なことだったのかと思うばかりです。しかし、時間の余裕も体力も学生時代には及ばない今だからこそ、何となく合宿もどきの遊びをしてみたくなるというのが人の心理というものでしょうか。

一昨年の夏から会社の同僚と自転車ツアーに出かけております。きっかけは、ツール・ド・フランス好きの同僚A(女性)からのお誘いです。私の仕事は、プロジェクト単位で客先付近のマンスリーマンションに数ヶ月滞在する形式が多く、週末を利用し気晴らしとして滞在先で様々な遊びが企画されるのです。当時は、その同僚Aが愛媛のプロジェクトに参画しており、「しまなみツアー」が決行されました。参加者は男女合わせて総勢10人。岡山でレンタサイクルをし、1泊2日で今治まで自転車で渡るというものです。瀬戸の海に浮かぶ島影をのんびり眺めながら、島々を繋ぐ橋を必死に登り、風を切って坂を下るというのは、なかなかハードですが非常に楽しいものでした。美味しい海の幸を満喫できるというのもこのツアーの楽しみの一つで、オコゼをたらふく頂いて、遊び疲れた子供のように眠る。どう見ても大学生には見えない私たちの姿は、土地の方々にもさぞ奇妙に映ったことでしょう。しかしながら、天候には恵まれずに1日目の夕方から雨が降り、2日目は自転車を諦め、私を含めバスで今治に移動したメンバーもおりました。

そこで昨年は「裏しまなみツアー」と称し、今治からスタート。小さな島々を巡って大三島に宿泊。再び今治へ戻るツアーが開催されました。参加者はさらに増えて14人。途中、小さな島から船で渡る予定が、何と船に載せられる自転車が5台と言われ足止めされるなどのハプニングもありながら(下調べをしていても、現場に行ってみないと分からないことはつきものですね)、またしても瀬戸の海の幸を満喫し、ようやく岡山-今治間を自転車で制覇することができたわけです。

そして今年は残暑も少し落ち着くことを期待して、9月に「丹後半島ツアー」が開催されます。市の条例で、日をまたがったレンタサイクルが許可されないなど企画段階からハプニング続きですが・・・どのようなツアーになりますでしょうか(笑)

オフィスで一日中机に向かっておりますと、澄み渡った夏の青い空も、陽射しの強さも、木陰を涼やかに渡る風も、ともすると気づかないままに日々が過ぎてしまいます。最近は温暖化の影響か、穏やかな四季の変化が失われ、急激な天候の変化に戸惑うことが増えたように思われますが、たまには汗をかき、心地よい疲れを体に感じて、心と体のバランスを取り戻すような遊びを楽しんでいきたいものですね。

~~新入会のご挨拶~~

頭師 暢秀(平5商)

平成5年に商学部を卒業いたしました頭師暢秀(ずしのぶひで)と申します。このたび、木村健副幹事長にお誘いいただき、入会させていただきました。

学部時代は、弁論部に所属していました。全日本学生弁論大会で優勝できたことは大きな出来事でした。ビジネスコンテストでの副賞のニュージーランド海外旅行をきっかけに、バイト代やその他の獲得賞金などを使って約30カ国を旅行しました。このような学部時代だったもので、株式会社島津製作所で科学機器の営業をしておりましたが、勉強不足を痛感いたしました。大学院へ進み、学部から引き続き佐野陽子先生のご指導のもと、人的資源管理論を学びました。ニューヨーク市立大学大学院でマーケティングを専攻し博士号を取得後、流通科学大学サービス産業学部にて教職に就いております。

最近の若者には、社会人基礎力(前に踏み出す力、考える力、チームで働く力)が不足しているという経済産業省の主張に共感し、社会連携活動を通じて学生の社会人基礎力育成に尽力しています。昨年の社会人基礎力育成グランプリで大賞を獲得しましたが、姫路慶應倶楽部会長の竹田佑一氏、同幹事の竹田典高氏のご協力の賜物です。同会員の谷口よしき相生市長のご協力を仰ぎ、まちづくりの研修にも参りました。これまでの活動は、西播磨地方を舞台としておりましたが、神戸での機会も頂戴できればと考えております。

「国づくりは人づくり」と申します。私は一介の教員に過ぎませんが、教育を通じて人づくりを、ひいては国づくりに貢献したいという気持ちだけは忘れないようにしたいと考えております。今後とも塾員の皆様からのご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

~~新入会のご挨拶~~

中井 透(昭63経営修)

このたび、城口隆会員のご紹介により神戸慶應倶楽部に入会させて頂きました、経営管理研究科修了の中井透と申します。

芦屋市立岩園小学校、甲南中・高を経て、1982年に甲南大学理学部を卒業しました。民間金融機関で4年弱の勤務の後、慶應義塾社中の一員になった次第です。

大学院修了後の3年間は東京に住み、中小企業診断士としてコンサルティング活動に従事する傍ら、短期大学で研究を続けておりました。1991年に岡山の地で専任教員の職を得て、家内と二人で移り住みました。岡山は二人にとってまったく未知の土地だったのですが、移住直後に入会した岡山県三田会の年次総会で城口さんと出会い、同年代に限らず実に多くの塾員の方々を紹介していただきました。その後は家族ぐるみで三田会のイベントに参加していましたので、16年間の岡山での思い出は三田会とともにあると言っても過言ではありません。仕事においても塾員の繋がりから、岡山経済同友会や岡山商工会議所などで各種委員会のアドバイザーを仰せつかったり、社外取締役や経営顧問といった形でコンサルティング活動を行う機会を与えていただきました。

岡山での生活は非常に充実していたのですが、いつかは地元に戻って仕事がしたいとの希望は持ち続けておりました。2007年、京都産業大学経営学部で働く機会を得たのを契機に、家族で阪神間に移って参りました。移住後暫くは博士論文の執筆に追われブルーな毎日を送っておりましたので神戸慶應倶楽部への入会が遅くなった次第です。3月の例会で自己紹介させていただきましたが、その後も既に何度か出席させていただいております。今後ともよろしくお願いします。

~~新入会のご挨拶~~

天竹 清裕(平15経)

はじめまして、この度神戸慶應倶楽部へ入会させていただきました。平成15年経済学部卒の天竹清裕と申します。

神戸生まれの神戸育ちです。中学・高校は高砂の白陵で厳しいながらも楽しい学生生活を送りました。大学では厳しかった高校時代の反動から、自由を満喫しすぎてしまいました。在学中、建築の勉強のため夜間の専門学校にも通いました。
卒業後は、ゼネコンの奥村組に入社し6年間務めましたが、2009年に実家の工務店を手伝うため退職しました。

どんな業種でもそうだと思いますが、経験に勝るものはありません。建築は特に経験がものを言う世界だと日々思います。古い住宅の改修などは、見たことのない工法や材料が使われていたり、それらをひとつひとつ覚えていくしかありません。毎日、社長(父)に怒られながら勉強しております。最近では、耐震改修工事にも力を入れており、1軒でも多く安心して住める住まいを提供できるよう心がけております。

趣味はゴルフとサッカーで、最近はフットサルのチームを作り、大会に出たり仲間と楽しくやっております。目標は40歳になってもピッチに立つことです。ゴルフは100を切ったり切らなかったり、なかなかうまくなりません。

神戸慶應倶楽部に入会して、周りがすごい先輩ばかりで毎回緊張しております。少しでも皆さんとお近づきになれるよう、よろしくお願いします。

2011年6月号掲載

~~イスラエル聖地巡礼の旅~~

浅沼 清之(昭36経)

3月1日から9日まで、イスラエルを訪ねて春の聖地巡礼の旅に出かけた。関空から韓国経由、イスラエルのテルアビブ空港まで直行する。これが日本とイスラエルを結ぶ最短ルートとなっている。国内は専用バスで移動する。テルアビブ、シャロンの野、カエサリア、ナザレ、カナ、タボル山、ティベリア、マグダラ、カファルナウム、ガリラヤ湖、フィリポ・カイサリア、ゴラン高原、サマリア山地、ユダの荒地、死海、クムラン、マサダ、ベツレヘム、エルサレム、エインカーレム、テルアビブが、行程の概略である。

イスラエルは、海抜下400米にある死海を中心にして。北はヨルダン川からガリラヤ湖を経由してシリアまで。死海から南に向かっては、紅海に通じるエイラットまで、深い溝のような地形が続いている。現在はこの溝地帯が国境であり、東はヨルダン領となっている。

「水温む 砂漠に浮かぶ 死海かな」

この時期にアラブ諸国が危険な政治情勢であったため、多少の不安があったが、現地に入ってみるとどこをバスで通過しても、幸い殆ど危険を感じることはなかった。日本から自衛隊が派遣されているゴラン高原を通過しても、国境は近いが極めて平穏であった。イエス・キリストが誕生したベツレヘムの町は、エルサレムから比較的近いのであるが、パレスチナ自治政府内となっており分離防御壁がある。関門では銃を持ったアラビア人兵士が入国検査を行う。バスで通過するには運転手をアラブ人と交替し、アラブ人のガイドを同伴することが入国の条件となっていた。キリストの「降誕教会」はローマ帝国のコンスタンチヌス大帝の母ヘレナが造らせて以来、キリスト教聖地であるが、ベツレヘムの町に入ると風景が変わり、アラブの町であるということもありイスラム教徒が多い。ここではやや緊張した。

1948年国連決議を基にイスラエル国家が建国。苦難を乗り越えて祖国に帰りたいと願うユダヤ人移住者によって現在人口は720万となったが、異なる民族的背景や文化を持ちながらイスラエルの生活の中でお互いに調和し合ってきたのであろう。アラブと異なり街並みは整然として豊かさを感じさせる。

「エルサレム 嘆きの壁に 春の雨」

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、キリスト教徒はエルサレムをイエスが最後の時を過ごした場所として結びつけ、ここでイエスは教えを説き捕えられ十字架に架けられ、そして復活したとする。エルサレムの聖墳墓教会はキリスト教徒にとって最も神聖な聖堂であり、ビア・ドロローサ(イエスが磔にされるゴルゴダの丘へ十字架を背負って歩いた道)の最終地点にある。4世紀に建てられたがペルシャ軍に破壊され、十字軍のエルサレム征服後再建されている。現在イエスの墓と磔の場所は同じ屋根の下にある。

今回の巡礼で聖地を自らの足で踏み、風をすって毎日ゆかりの教会でミサに与ってみると、これまでなかなか馴染まなかった聖書の地名やカタカナの人名に親しみを覚えるように感じられた。同行のガイドが早大卒業後ヘブライ大学で学びイスラエル在住経験が長く、三浦朱門・曽野綾子と共著の著作を出版しているイスラエル研究家でもあったため、知的好奇心が大いに満たされたように思われた。帰国して2日目に大震災が発生したり、2週間後に滞在したエルサレムでテロの爆破による死傷者30人の事件が起こったが、無事に予定通り旅を終えたのは幸運であった。

「異 文 化 の 聖 地 巡 礼 春 浅 し」

~~新入会のご挨拶~~

青嶋 義晴(昭52工)

昭和52年に工学部電気工学科を卒業した青嶋と申します。縁あって神戸慶應倶楽部に入会させて頂きました。宜しくお願いします。

私は静岡で生まれ、ひょんなことで関西電力に入社して以来、一貫して送電線や変電所といった電力系統の技術畑を歩んできました。勤務地としての神戸は初めてですが、15年前の震災の際には、神戸に入り浸りで復旧に携わりました。そのせいか神戸は初めての勤務地とは思えない土地です。

私が勤務する神戸支店は旧居留地の一角にある加納町にあります。震災後に建替えた折に無線鉄塔を屋上に設けた結果、神戸で一番背の高い建物になり、神戸の素晴らしい夜景に少しばかり彩りを添えています。

赴任してから司馬遼太郎氏「街道をゆく」(神戸編)を読み返しました。幕末に神戸港が開港するあたりの記載になると、私がおります神戸支店あたりの話しが出てきます。当時の様子を京町の神戸市立博物館で眺めることが出来ます。名もないようなちっぽけな明治国家日本が世界第2位の経済大国に上りつめるまでの大パノラマを見るようでした。折角の機会ですから大いに神戸の歴史を学ぼうかと思っています。

さて、私も50代半ばの歳となり時々人生を振り返ってみることがあります。青春期に慶應で過ごせたことは大変幸せだったと思っています。
慶應の思い出はたくさんありますが、ひとつだけ選ぶとしたら日吉寄宿舎で4年間過ごしたことです。慶應の1年から4年まで60名が文字通り寝食を共にしながら日吉の丘で青春を謳歌できました。寄宿舎というと厳しい規律を想像するかもしれませんが、まったく逆で学生による自治運営で自由を満喫できました。以前、塾の学生部から門限がないのは問題である、と注文がついた時も、おおよそ全員が帰っている午前4時と回答して、事実上門限なしを維持したと聞かされました。私は理工系であったので文系の先輩、同僚、後輩と親しく付き合えたことが人格形成に大いに役立ちました。今でも頻繁に会っているのはこの時の仲間達です。

私の場合、どうしても慶應に入りたい、と言う訳ではありませんでした(笑)ただ、卒業して歳月を重ねていくと慶應の良さが段々と分かってくるから実に不思議な学校だと思っています。現在、私の息子も慶應にお世話になっています。
しばらくは神戸にいると思いますから皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。

~~新入会のご挨拶~~

加藤 正久(昭54政)

この度、神戸慶應倶楽部に入会させて頂きました昭和54年法学部政治学科卒業の加藤正久です。出身は名古屋市で、卒業後(株)竹中工務店に入社して以来、関西在住32年となります。

高校時代には鉄道研究会に所属し、消えゆくSLを、カメラバッグを担いで追いかけておりました。大学在学中は多田ゼミ、レギュレーションテニスクラブに所属すると共に全国慶應学生会連盟の活動にも参加し、三田祭実行委員会の役員も務めました。昭和52年全慶連ステージのゲストとして、サザンオールスターズの大ブレークが読み切れず、アイドル系の女性グループ(すぐに消えました)を呼んでしまったことが未だに後悔されます。

就職して初めて関西の地を踏んだ訳ですが、スタートは神戸市東灘区深江の研修寮でした。神戸の街が大好きになり、週末にはよく同僚と三宮や元町に繰り出したことが懐かしく思えます。現在は大阪市内に住んでおりますが、阪神大震災時は六甲アイランドに居住しており貴重な体験を致しました。趣味のゴルフはABCゴルフ倶楽部に所属しHCは15です。大好きだった写真は、旅行や出張時に小型のデジカメで街並みや建物の撮影を楽しんでいます。

竹中工務店では一貫して営業を担当し、多くのお客様と接して参りました。神戸慶應倶楽部の方々を始め、多くの塾員の方には日頃大変お世話になっております。少し会社のPRをさせて頂きますと、竹中工務店のルーツは名古屋で大工の棟梁として創業し、1899年神戸に進出して近代建築を始めたのが会社創立元年です。兵庫県庁北東にある創立ゆかりの地には「竹中大工道具館」を設立し、大工道具の保存・展示に併せて日本の建築文化を紹介しており多くの方々に来場頂いております。

このように、大変縁のある神戸で皆さまとの新たなご縁を頂きたいと思っております。どうかよろしくお願い致します。

2011年4月号掲載

大変素晴らしいことに、今回は4年ぶりの開催となった関西不動産三田会へのレポートを2件いただきました!(編集部の不手際ではございません!?)それぞれ素晴らしいご報告をいただきましたので、もう一方のレポートをご紹介させていただきます!皆さん是非お楽しみください!!

~~神戸慶應倶楽部1月新年例会のご報告~~

坂元 清輝(昭55商)

1月14日に開催された神戸慶應倶楽部新年例会のご報告をさせていただきます。今回は4年ぶりの関西不動産三田会との合同の開催で約90名(神戸慶應倶楽部からの登録者数は30名)の参加を数え、三宮の西村屋和美旬彩で盛大に開催されました。

冒頭、我等が佐井会長より本年秋に神戸ポートピアホテルで開催予定の関西合同三田会の絶妙なPRを兼ねたご挨拶を頂き、メインの慶應義塾大学商学部 菊澤研宗教授のご講演を傾聴し、関西不動産三田会喜多村代表の閉会のご挨拶、河野、佃両幹事長の会務報告の後、西村屋伝承のかに料理の懇親会となりました。歓談中、新入会員紹介や自薦他薦の会員PRで大盛り上がり。最後は恒例の若き血の大合唱で、終了予定時刻を30分もオーバーし終了いたしました。

ここでは菊澤先生のご講演内容を自分の理解したレベルで記載し、神戸慶應倶楽部新年例会のご報告とさせていただきます。

講演「なぜ企業は不祥事に導かれるのか ~ 日本陸軍に学ぶ組織の不条理」

バブル崩壊後日本の優秀な企業倒産が相次いで発生したが、本当に当事者は無知で無能だったのか、の問いに、最も優秀な人間たちの馬鹿げた行為として太平洋戦争で日本陸軍が犯したガダルカナル島戦の4度に亘る白兵突撃での大敗北を具体例として取り上げました。この作戦の背景には「組織の不条理」というものが存在し、非効率な中にも合理性がありその上で失敗したというものでした。

「不条理」とは個別では合理性があるが全体では不合理になるということ。何故、非効率と分かっている白兵突撃やガダルカナル島に固執したのか。馬鹿な行いなのか。いや合理性がありその上での失敗でした。

これを説明する理論は「取引コスト理論」である。キーボードのクワーティ(QWERTY)配列が普及した例をあげ、市場はいつもいい答えを出さないのではないかを説明。現実の人間は完全でなく、市場取引には常にコストが存在する。しかも会計上のコストではなく人間関係上のコスト。つまり利害関係者が存在することを認識する。旧日本軍は自信と伝統と数多くの犠牲の上に白兵突撃があると信じており、この戦術を変える為の人間関係上のコストが大きくて他の合理的な戦術をとることができなかった。

現代での、実は私も乳業界に身をおく者として一連の騒動を肌で体験した雪印乳業食中毒事件(この事件後食品メーカーのリスクコンプライアンスへの取り組みが大きくクローズアップされたのですが)や三菱自動車のリコール隠蔽事件を例にあげて、同様に公表するコストと隠蔽するコストを人間は考えてしまうと説明。

内部の論理にこだわる人だけでは改革は難しい。利害関係の無い人、損得勘定を入れない人をリーダーとして、その決断、行動を邪魔しないことが大切。(日産カルロス・ゴーン社長のV字回復が代表例)問題の事前や早めに手を打つのに「批判」を受け入れるという行為が否定される組織は成長しない。問題が早い段階で解決できる組織は批判を受け入れている。批判ということは否定でも肯定でもない。どこまで認めてどこから違う、もっと良くしていこうという考え。批判は誰でもできない。名誉欲や金、権力に負ける人間は批判できない。他律的意思でなく自律的意思で生きることが人間の尊厳である。自分の意思があり啓蒙された人のみ批判的議論ができる。ソニーやマクドナルドに代表されるが、変化する環境に安定して対応できる会社は強い。

まとめとして、「組織の不条理」に陥らない為に、
・「取引コスト」を節約できる法則、規制を生み出す。
・コストにとらわれない道義をつくる勇気あるリーダーに助けられる。
・批判的議論を通して内部が変化していくこと。(私はこれが理想的だと思いますが)

という内容でした。

最後の質問で、どなたからか、企業のトップを制する程の強い価値基準を持つことで企業が存続する方法もあると思うがどうか、と問いかけがあり、菊澤先生も是非今後の参考にしたいとのこと。しかし、普遍的な価値は一定の地域では可能だが、多国籍企業に問題がでてくるのではないか、とのお考えでした。

本当に有意義な新年例会でした。

~~新入会のご挨拶~~

田村 明士(昭56法)

昭和56年法学部法律学科卒業の田村明士です。この度、神戸慶応倶楽部へ入会させて頂きました。

在学中は米津ゼミに所属し、スポーツは慶應バードフェローズでバドミントンを楽しんでいました。

卒業後JTBに入社し大阪、東京、倉敷、京都で勤務し、2010年の2月からJTB西日本神戸支店長として神戸でお世話になっております。

神戸は京都生まれの私にとっては海と山を感じられる憧れの地でしたので、この街で働ける事を嬉しく思う気持ちは転勤後半年たった今も変わらず、さらに強まっているくらいです。

旅行を販売するという旅行業でお役に立つことは勿論ですが、神戸にさらに多くの方が訪れるような活動にも傾注したいと考えていますので、皆様からのご支援、ご鞭撻をいただけますよう宜しくお願い申し上げます。

~~新入会のご挨拶~~

佐井 貴史(平15経)

この度神戸慶應倶楽部に入会させていただきました平成15年経済学部卒の佐井貴史と申します。

出身は神戸で、中学卒業後に湘南藤沢高等部に進学し塾生の一員となりました。高校時代は親元を離れた寮生活で今でも親交の続く多くの友人達に出会いました。部活では幼少の頃より励んでいた水泳部に入部、高校3年次には主将を務め目標であったインターハイ出場を果たしました。大学では経済学部に進学、目標がインターハイ出場でしたので体育会の水泳部には所属しませんでした。しかし、勉学の方では神代ゼミに所属し新たな友人達と出会い親交を深めながら様々な貴重な経験をしました。

塾を卒業後、神戸に日本の本社を構える消費財メーカーのプロクター・アンド・ギャンブルに就職、入社後は営業として関東甲信越エリアの様々な場所で勤務をしてきました。昨年平成21年より神戸での本社勤務になったのを期に神戸慶應倶楽部に入会させていただくことになりました。皆様よろしくお願い致します。

~~新入会のご挨拶~~

松沢 尚浩(平16経)

はじめまして、2004年度経済学部卒業の松沢 尚浩と申します。

私は、生まれは中央区の下山手通り(元町の北側です。)で、6歳の時に中央区の熊内橋通(新神戸駅の東側です。)に引っ越しました。

中学受験で、関西の学校に失敗し、中学・高校と6年間、愛媛県の愛光学園という学校で、男子校・男子寮(現在は、共学)という濃い生活を送りました。大学は、縁あって慶應義塾の門戸を叩く事はでき、卒業後は、6年間東京で、生命保険の営業・ベンチャー立上げ等を行い、2010年より貿易を営む神戸の父の会社に戻って参りました。

私は神戸の台湾華僑でして、以前は、李尚浩と名乗っていました。今でも神戸の知人には私の事を、李―ちゃんと呼ぶ人もいます。

生まれた町でもある大好きな神戸に17年ぶりに戻って参りました。スポーツが好きで、中学・高校時代はバスケットを、義塾時代は、ダンスサークルに所属しダンスを、現在は、サーフィンを趣味としております。

若輩者ではありますが、大先輩方に少しでもお近づきになれたらと思います。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。

2011年新年号掲載

≪新入会のご挨拶≫

宮崎 裕(昭63法)

昭和63年法学部法律学科卒業の宮﨑と申します。

この7月より、河野幹事長のご紹介により倶楽部に入会させて頂きました。

現在、神戸大丸横の三菱東京UFJ銀行神戸支社に勤務しており、住吉にある単身赴任者用の寮にて快適な神戸生活を送っています。

現役時代はダックスアメリカンフットボールクラブに所属し、文字通り4年間はアメフト漬の日々を過ごしていました。入社後も社会人リーグで4年程プレーをしましたが、その縁あってか現在も「オール三菱ライオンズ」という社会人チームの事務局を務めています。

アメフトのメッカでもある関西地区で、いよいよ開幕する学生のリーグ戦を観戦するのも今から楽しみの一つです。

関西への単身赴任は5年前に赴任した京都に次いで二度目の経験です。京都時代はあまり訪れることも出来なかった憧れの神戸で仕事や遊びができる喜びを、着任後10ヶ月経過した現在、改めて噛みしめているところです。東京の自宅へ帰省しない週末は、六甲山から有馬温泉へのハイキングや、京都勤務時代に一度満願を達成した西国三十三ヵ所巡りの二順目に加え、新西国三十三ヵ所、神戸十三仏等の朱印帳を複数抱えて、名所・古刹を行脚する気ままな時間を満喫しています。

倶楽部を通じて諸先輩、後輩との新たな出会いの機会を頂けたことを大変喜んでおります。伝統ある神戸慶應倶楽部の会員として相応しい活動を心掛けますので、皆様どうぞ宜しくお願い致します。

~~新入会のご挨拶~~

関根 利恵(平4文)

平成4年文学部心理学専攻卒業しました関根利恵と申します。神戸には2009年2月に主人の転勤で参りました。

出生地は尼崎市なのですが3歳のときから東京在住だったため神戸は全く見ず知らずの土地でしたが、神戸慶應倶楽部の存在を知り大変心強く思います。

大学時代は体育会馬術部にて主務の仕事に励んでおりました。馬に乗るよりも帳簿の計算をしている時間の方が長く、あまり馬術部出身であると胸を張って言える腕前ではありません。

卒業後、1992年から2005年までは株式会社三越にて勤務、紳士服の販売、バイヤー、海外事業部総務などを担当しました。主人のシンガポール赴任のため、退職しシンガポールに同行しました。

その後東京に戻り、今度は神戸にやってきた次第です。

馬術部にも、三越にも、シンガポールにも三田会がありいずれも大変お世話になりました。

先日、東京の母が亡くなったのですが、もう10年近く会っていなかった馬術部の後輩が葬儀に参列してくれて感激いたしました。近親者を失い、悲しみで疲労困憊しているところに来てもらい大変ありがたかったです。三田会のおかげだと思いました。
三越の三田会では、年に一度の総会パーティで5年ほど会計係を務めたことがあります。
シンガポール三田会では、年代別懇親会で知り合った先輩に仕事を紹介していただき、かの地で働くこともできました。

人生のいろんな時点で三田会に助けられてきました。

現在は小さな子供がいてなかなか行事に参加できない状況ですが神戸慶應倶楽部でもたくさんの諸先輩方、後輩と会い、お手伝いなども後々できたらいいなと考えております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

~~夢の花園~~

康乗 克之(昭58商)

「花園に行きます、頑張ってきます!」 慶應義塾高校ラグビー部のA 君から嬉しいメールが届きました。A君との出会いは春シーズン、「オール早慶明」の秩父宮ラグビー場でした。ちょっとしたアドバイスがきっかけでしたが、オープン試合の気楽さもあり、ピッチ上で話が弾みました。初めての秩父宮で緊張していること、将来はレフリーとしてラグビーに関わりたいこと等々。一生懸命な話し振りと目の輝きが、とても印象的だったと記憶しています。

高校ラグビー最後の年に射止めた花園、緑の冬芝を思う存分楽しんでおいで、と返信しました。

A君の「夢の花園」は、12月30日第4試合(第1グランド)キックオフです。

「俺さぁ、花園に呼ばれたよ!」 親友Bレフリーの電話は3年前のことでした。「花園で笛を吹く」ことは、トップ・レフリーへの登竜門。涙が出るほど嬉しかったことが、まるで昨日のように蘇ります。実は、本当に期待されるレフリーは、2回戦からの登場となります。そして、回戦が進むごとに半分が帰されるという地獄のサバイバルが、花園で展開されるのです。

A級レフリーに昇格したB君、始めて大阪で新年を迎えたのが1年前でした。彼の大きな夢は、2019年のラグビーワールドカップ日本大会。決勝トーナメントのスタジアムに、ノーサイドの笛を響かせることです。新婚の奥様には申し訳ないけれど、今年も大阪で除夜の鐘が聞けますように。

B君の「夢の花園」は、12月30日第1試合(第1グランド)キックオフです。

全国大学ラグビー選手権、慶應義塾大学蹴球部の夢の舞台は、12月19日の花園でキックオフしました。対抗戦後半節の勢いに乗って1回戦の近畿大学戦を43-7で勝利し、26日の秩父宮そして正月の国立に夢をつなぎます。

今年も花園ラグビー場に行こうと思います。

心から応援したい人たちがいるから、ラグビーの神様と一緒に観たいから。

皆さんもご一緒しませんか?