広瀬努(昭45商)
「福井有さんを偲んで」
福井有さんが60才の還暦の年に年男として、今まで生きてきた60年の人生を回想して7つのイベントにしぼって神戸RCの例会で卓話をされました。
(1)23歳の結婚。(2)結婚6年後のアメリカ留学決意。(3)卒業後帰国し大手前学園に奉職、86年短期大学の総合移転の話がもちあがり、プロジェクトマネージャーを務めた。(4)学生も順調に増え続けた矢先、阪神大震災で大学は壊滅的な打撃を受ける。(5)2000年に思い切って女子大を共学化に踏み切る。(6)翌年訪問していたニューヨーク同時多発テロに遭遇。(7)昨年は夏に手術で長期入院の経験をした。
こうして振り返るとドラマチックな60年でしたと語られました。
私との出会いは短大移転の時期に神戸JCのフォーラムに教育問題で講演を依頼したことがきっかけで大阪JCから神戸JCに移転され、数年後、神戸JCの理事長として世界会議神戸大会で活躍されました。JC,慶応、RCなどで御一緒させていただき親しくなり、大手前学園でも理事をさせていただくことになりました。神戸慶応倶楽部では、福井さんが幹事長時代、関西合同三田会の開催、70周年記念誌の作成など歴史にきざまれるイベントに関わってこられたと思います。
8月27日62才の若さで逝去されました。8月30日の密葬では有さんの歌声が流れマイウエイの音楽で出棺をされました。10月8日のお別れ会では献花台のサイドにジャズバンドがあり、フィナーレは一緒にCDを出された歌手のロアーナさんと有さんの映像と肉声でデユエットでした。有さんが好きだったジャズとスイートそして有さんの書いたキャレ文字や4月にうえきたにオープンしたスイートラボの写真などが展示され、愛情あふれるすばらしいお別れ会でした。特に理事長就任時に語られた、震災時の思い出と「教育とはすべての授業を受けた後に、心の中に残っているものをいう」が印象に残りました。
ふりかえれば平成7年の震災で大手前大学が大きな被害にあった次の年から幹事長としてもがんばっておられたことが驚きです。
平成9年には安藤忠雄さん設計の大学のアートセンターで倶楽部の例会が開催されたり、平成19年には新しい図書館メデイアライブラリー竣工時には小川理子さんや、慶応のバンドで記念の演奏会があり、KKJCの方も多く出席されたと思います。福井有さんの歌声を例会で聞かれた方も多いと思いますが、こよなくジャズを愛し、学園経営ではすばらしい先見性をもって改革され短い人生でしたがすばらしい人生を送られたと思います。皆様とともに神戸慶応倶楽部につくしていただいた福井有副会長に感謝したいと思います。
阪本豊起(昭49法)
「寺本勤君を偲ぶ」
神戸慶応倶楽部でもロータリークラブでも、君のリーダーシップが必要だから君の才能と努力のすべてを健康の回復に捧げてくださいと手紙でお願いしてから3年。叶わぬまま永久の別れとなってしまいました。
君とは高橋洋三幹事長の就任にともない一緒に副幹事長に任命され、広瀬努幹事長の時代まで、君が事業・例会・総会・特別事業の運営を、僕が総務・会計・広報・拡大を担当することでコンビを組んでいましたね。
君が会の事業運営の舵を握っていた5年間は間違いなく神戸慶応倶楽部は大きな花を咲かせていました。まず就任前年の昭和63年8月の夏季納涼例会の実施にあたり実行委員長であった君は、会員全員を登録受付、設営運営、アトラクション・景品担当、広報担当、会計担当、医療の各チームのいずれかに組み入れて運営に参加させる新しいやり方で、180名の登録者を集める大成功に導きましたね。事業の実施に当たり、必ず実行委員会として組織を作り、全員で運営する君の手法は、平成元年の忘年会(ポートピアホテル119名参加)、同2年の忘年会(同81名参加)などにおいても踏襲され、平成5年11月の神戸ハーバーランドニューオータニを会場とした関西合同三田会神戸大会の大成功に繋がりました。実行委員長の君の手による赤い表紙の実施要項はプロの域のレベルで、600名にものぼる登録参加を得ましたね。大会担当副会長だった里見振先輩は、次のように書き残されています。「素晴らしい助っ人を輩出した。神戸の存在に気を吐く情熱溢れる若者の集団である。水を得た魚の如く効果的な展開が開始された。勢いのあるそれだった。日を追って形作りが目論まれ組織が生まれ、分担が決められ交渉が始まった。山程の作業を実行委員の面々は驚く程機能的に実に効果的に問題を解き、石を積みセメントをこねて進んだ。感動的な気持ちの持ち寄りがあり、若い血のほとばしる意気込みとともに数えきれぬ程、コピーが破られ汗が流された。準備の多伎も膨大さも寄せ合う心が期せずして同じく大会の成功を只願い、神戸に来て喜んでもらうその希望一直線に流れを動かした。この一連の全行程の立案総監督は大会成功の最功労者寺本勤実行委員長その人である」(BRB1994年1月号)
またこの年の夏の家族例会は、芦屋市の六麓荘の原信太郎氏宅(シャングリア鉄道博物館)に会員・家族81名でお邪魔してシャングリア鉄道博物館の見学、ミニ列車乗車体験、庭園でのバーベキューを楽しませて頂いたよね。君は原氏へのお礼に淡路屋が大事に保管していた貴重な鉄道の関する記念品を差し上げていました。原氏の示してくださる好意に最高のお返しで報いたいという貴君の誠意の真骨頂を目の前で教えられました。
君とは、神戸慶応倶楽部の運営を巡ってよく衝突しましたね。会計を担当していて支払って頂く会費の中に予算を収めようとする僕に対し、まずは楽しんでもらえなければ組織は続けることができない、最大のサービスをするべきだという信念の君、顔を真っ赤にして組織の運営の仕方、事業の在り方を教えてくれました。サービス精神が旺盛で、君が経営していたレストランでもいつも感動するほどのもてなしをしてくれましたし、オークションの景品ひとつをとっても通販などで面白いものをわざわざ入手して提供していました。君が実践していた全員が参加して事業を営むという遺伝子とまず喜んで頂くことから組織運営は始まるという遺伝子が脈々と神戸慶応倶楽部の次の世代にも伝承され、平成23年の関西合同三田会の大成功に繋がりました。
ホームステイ先の寺本家から我が家に引き継ぎ継いだロータリークラブの交換留学生ナンシーが、いつも本当に細かく寺本パパとママのことを話し、天気が良い日は「淡路屋アイランド」(淡路島)に行こうよとよく僕たちにねだっていたのがついこの間の懐かしい思い出です。その君が7年前、35歳のときからチャターメンバーで入会したロータリークラブも退会し、神戸慶応倶楽部でも青年会議所のOBの集いでも姿を見せなくなったのは、君の大学時代にフェリス女学院とのダンスパーティで知り合った大事な奥様に癌が見つかって奥様との残された時間を大事にするためだと話してくれました。仕事と社会活動と遊びで奪われた家庭で過ごす時間を最後にしっかり取り戻して旅立った君の生き方は見事です。
萩原勇作(平21政)
倉橋好士弘氏9月27日(金)午後6時30分より9月例会が開催されました。
今回の例会はホテル業界をはじめサービス業に50年以上にわたって従事されてきた倉橋好士弘様をお招きして講演を行っていただきました。
ポートピア博覧会を中心に、皇室の接遇、国際会議の運営など、普段聞くことのできない興味深い内容で、1時間があっと言う間に過ぎました。
1981年、ポートピアホテルがオープンして2週間足らずで、博覧会を迎え連日満室が続くご多忙の中、天皇陛下や海外王室の接遇をされたエピソードを紹介していただきました。また、当時の皇室の分刻みタイムスケジュールを拝見し、緊張感のある接遇業務の一端を知ることができました。
活躍の場を大阪のホテルニューオータニに移されてからは、IMC(国際金融会議)やAPEC(アジア太平洋経済協力会議)での接遇の様子をお話いただきました。APECでの食事休憩の際、機転を利かせて共通の話題を提供することで、会議を成功に導き、時の総理に非常に感謝されたというお話は特に印象的でした。
ご講演の中での「サービスの立ち振る舞いは教育できるが、ホスピタリティは教育できない。ホスピタリティとは、まさに『心』であり、おもてなしである」とのお言葉には、長年のご経験の重みを感じました。さらに、「ホスピタリティはどんな場所(仕事)にも存在している」と話され、多くの方々の接遇に携わってこられた倉橋様ならではの温かさに感銘を受けました。貴重なご講演ありがとうございました。
堺充廣(昭53法)
9月19日に三田キャンパスで平成25年度慶應義塾指定寄付奨学金授与証交付式が開催され,来賓として出席してきました。
指定寄付奨学金は,塾関係者からの寄付による学内奨学金の1つで,本年度は年次三田会,地域三田会,職域三田会,篤志家の4種28団体から108名の奨学生に指定寄付奨学金が授与されました。神戸慶應倶楽部は,本年度より指定寄付奨学金奨学会となり,1名の方に奨学金を授与することにしたものです。
交付式では,はじめに清家塾長から,私学が建学の精神を維持していくためには財政的に自立することが不可欠であり,その意味で指定寄付奨学金の制度は貴重な制度である,指定寄付奨学金は慶應義塾社中の絆が最も強く現れる制度であり,慶應義塾として大変感謝をしている,慶應義塾と塾生の支援のため,今後も指定寄付奨学金の授与を続けて欲しいなどとご挨拶がありました。続いて,岩波敦子担当常任理事のご挨拶,全奨学生の紹介,奨学生代表への授与証の交付,奨学生代表による謝辞が続き,厳粛なうちに閉会しました。
引き続き,場所を生協食堂に移し,懇談会が開催され,交付式とはがらりと変わった打ち解けた雰囲気の中,奨学生との交流を深めました。本年度,神戸慶應倶楽部からは坂上良介君に奨学金を授与しました。坂上良介君は長田高校卒の理工学部2年生。統計を用いた研究を行っているとのことで,将来は,研究者の道を歩みたいとのことで,奨学金の授与を大変喜び,感謝していました。懇談会では,各奨学会と奨学生より挨拶があり,各自決意を述べ,大いに盛り上がり,散会。8月1日より販売が開始された「慶應の水」をお土産に頂戴し,帰神しました。
「慶應の水」は富士山麓の富士吉田市の地下水を用いた地域活性化の研究,水質等に関する研究の成果をもとに企画を進めたもので,売り上げの一部は環境保全や奨学金に活用されるとのことです。
神戸慶應倶楽部では指定寄付奨学金を授与するために奨学金基金を設けていますが,財政的には脆弱です。「慶應義塾社中の約束」の実践として高い志から始めた指定寄付奨学金の授与です。今後も継続し続けるためにも基金の財政を潤す必要があります。会員の皆様の一層のご協力をお願い致します。
野田敬二(昭58経)
平成25年9月10日(火)、神戸ゴルフ倶楽部にて慶早ゴルフ対抗戦が、神戸早稲田倶楽部主催で開催されました(晴れ時々曇り、微風)。参加者は、佐井裕正さん、芳川玲子さん、山上高弘さん、堺充廣さん、城口隆さん、廣川守さん、安井明子さん、そして私・野田敬二を含めて8人です(神戸早稲田倶楽部は13人)。
まず個人戦では堺会長がアウト34イン40グロス74クラブハンデキャップ18ネット56(パー61)6アンダーで、2位に5打差をつけて優勝されました。堺会長は、神戸ゴルフ倶楽部での慶早コンペは初参加で初優勝!です。おめでとうございます。
団体戦は慶應・早稲田双方のネット成績の上位5人トータル合計で競われました。その結果、慶應323-315早稲田で、久しぶりに神戸早稲田倶楽部が団体戦優勝を飾りました。
来年9月の神戸ゴルフ倶楽部での慶早ゴルフコンペ前日には、神戸ゴルフ倶楽部近くの別荘で、松茸入りすき焼きパーティー開催が企画される予定です(宿泊可能)。「神戸慶應倶楽部のみなさん、沢山の参加をお待ちしています。」と神戸早稲田倶楽部から申し入れがありました。ご報告申し上げます。
天竹清裕(平15経)
8月3日(土)ホテルオークラ神戸にて、神戸慶應倶楽部創立90周年記念例会が開催されました。総勢115名もの方にご参加いただき、大変華々しい記念例会となりました。また、この例会をもって佐井会長が退任され、新しく堺新会長へとバトンが渡されました。
関西合同三田会に続き、子守会員の司会進行で記念例会は始まりました。記念講演は大仁日本サッカー協会会長のご講演でした。大仁会長は神戸高校から慶應義塾へ進学されたということで、神戸慶應倶楽部にとってはこの上ない経歴の方です。日本のサッカーの創世期の話から、Jリーグ設立、日本代表のワールドカップ出場、これからの日本サッカーの目標など、お話いただきました。日本代表の話の中でジーコ監督の時が最強だったとお話されていたのですが、結果だけではなくどのあたりが最強の所以なのかもう少し時間があれば詳しくお話しを聞いてみたいと思いました。
その後会食中に、90周年記念ビデオが上映され、神戸慶應倶楽部の歴史を感じるとともに、先輩方の若かりし頃の写真で大いに盛り上がりました。
最後に現役応援指導部によるパフォーマンスが行われ、現役の若々しさと勢いを感じながら、「丘の上」を一緒に歌い、最後は全員輪になって「若き血」を合唱し、記念例会はお開きになりました。
上田泰久(平19経)
去る6/19、あいにくの雨でございましたが、元日本ハム2軍監督で現在は野球解説者をされております水上善雄氏をお招きし、講演を行っていただきました。
野球解説者という立場からの旬の話題である今年の阪神の快進撃、統一球問題から始まり、ご自身のプロ生活、日ハムの監督時代に間近で見たダルビッシュ投手、中田選手の成長、若手選手の育成システムなどに及ぶ野球界の幅広い主体的、客観的な観点からのご論評は非常に好奇心を満たすものでした。
とりわけ、ご自身の選手生活時代に当時のコーチから受けたご経験をご自身が監督になった際の活動に積極的に反映したり、指導選手の性格を観察して、相手に応じた指導を行ったというお話は、一般の会社生活にも大いに活用できそうな要素であり、野球は社会の縮図という水上様のお言葉がまさに腑に落ちた次第でございます。
聴講者からの質問にも一つ一つ丁寧にご回答いただき、最後には、中田選手と大谷選手のサインボールという素敵なプレゼントを置き土産に閉会となりました。
鳥巣慶太(平12理工)
5月29日(水)午後6時30分より、神戸外国倶楽部にて、平成25年度定時総会が開催されました。土井幹事長の開会宣言で始まり、佐井会長の議事進行の下、提出された第1号議案~第4号議案はすべて原案通り承認可決されました
。
そして、第3号議案において役員のサプライズ人事が発表されました。
サプライズ人事につきましては次号に掲載いたします。
幹事会は、阪元清輝幹事、細田浩之幹事、日向達幹事が退任され、新たに城口隆幹事、中井透幹事、ミュラー桃子幹事、萩原勇作幹事が就任されました。その他、長年お世話になりました糸海恵津子さんが、12月をもって退任されます。それに伴い新しく“西川真由”さんが就任されました。
懇親会は、大澤副会長の乾杯の音頭で始まりました。美味しい料理に会話も弾み、更なる親睦を深めました。最後は、阪本副会長が締めの挨拶をされ、皆で若き血を大合唱して会は終了しました。
藤田亮介(平21政)
4月19日18:30より、神港ビルにて4月例会が開催されました。
今回の例会は見事先の衆院選で政界に返り咲かれた赤羽一嘉衆議院議員(昭58年政)をお招きし、現在従事されている公務についての貴重なお話を伺いました。自分が普段聞けないようなエピソードが多く、興味深く聞き入っておりました。
最初に赤羽議員は原子力災害現地対策本部長として尽力しておられる被災地の復興支援について、詳しくお話されました。
原発の安全なシャットダウン方法/汚染水漏れについての対策/除染地域の見直し/賠償問題等々被災地が抱える多くの問題について、一つ一つ懇切丁寧に解説くださり、TVニュースだけではわからない被災地の生の現状を知ることができました。
自分が印象に残ったのは、赤羽議員の行動力です。東日本大震災発生直後(3/23)に即現地入りして宮古市長と会見し、現地対策本部長に就任されてからも週2日間は福島、3日間は東京で公務をこなされています。今年1月4日には自ら防護服に身を包み福島原発4号機の中を視察されたとか。氏の座右の銘「真実は現場にあり」を貫抜き通すその姿に自分は非常な感銘を受けました。
後半、赤羽議員にはアベノミクスの基本方針である「3本の矢」の具体的な説明と今後の日本経済の見通しについてお話し頂きました。スーパーコンピューター「京」を神戸に誘致する際の苦労話等、ご自身の経験談をユーモアを交えながら講演頂き会場は和やかな雰囲気に包まれました。
まだ経験の浅い自分にとって、赤羽議員のお話の内容/話し方も含め大変刺激になり卒業以来薄れていた義塾への繋がりを再認識できた素晴らしい経験となりました。大変ありがとうございました。
堺充廣(昭53法)
5月20日に開催された慶應大阪シティキャンパスの開所式に,佐井会長と出席して来ました。慶應大阪シティキャンパスは,これまでの大阪リバーサイドキャンパスを発展させる形でグランフロント大阪ナレッジピャピタル10Fに開設されたものです。
開所式では,まず,井田良常任理事より,
(1)全ての人に開かれた慶應義塾の関西の拠点とする。
(2)慶應義塾が積み重ねてきた研究成果を広く還元し関西の地域や社会への学問による貢献をする。
(3)卒業生や在学生等の交流のニーズに対応し,人と学びのネットワーク拠点とする。
という慶應大阪シティキャンパス開設の趣旨についてご説明がありました。
続いて清家篤塾長より,開所にあたってのご協力に対するお礼と今後の慶應大阪シティキャンパスへの協力の依頼などを含めたご挨拶があり,その後,大学院メディアデザイン研究科稲蔭正彦委員長が「創造的イノベーションを誘発するセレンディピティ」の演題で記念講演を行われました。
大学院メディアデザイン研究科は,メディア・イノベーターの育成を目標とし,社会の貢献を目指している学科とのことで,多様な国からの留学生が35%を占め,全ての講座で英語と日本語の講座が設けられていること,当初から大阪に拠点の1つを置いていたことなど,科の特徴のご説明がありました。
稲蔭委員長は,イノベーションは運か偶然の発見による場合も多く,セレンディピティとはその偶然の発見を意味する,イノベーションを実現するにはセレンディピティを高める必要がある,セレンディピティを高めるには,セレンディピティに出会う機会を増加させる必要があり,
(1)環境を工夫すること
(2)場所を変えること
(3)人をうまく動かすこと。
でセレンディピティに出会う機会が増加するなど,と言われ,GoogleやPixarなどの実例を上げて,どのようにイノベーションが実現されてきたかについてお話をされました。例えば,Pixarでは,トイレを1Fにしかおいておらず,全従業員が必ず1Fに降りてくるため,社内で出会う機会が多く,種々のアイデアが生まれてきたそうです。メディアデザイン研究科の授業の様子も写真等を交えてご説明いただきましたが,講義の場所を含め(プールでの授業が紹介されました),通常,我々が持っている講義のイメージとはかけ離れたもので,新鮮な感動を持ちました。稲蔭委員長は,国際会議でブラウン前イギリス首相が,教育の世界でイノベーションがなされていないことは問題だとの話をされていたことを紹介されましたが,ご説明いただいたメディアデザイン研究科の授業を見ると,慶應義塾では確実に教育イノベーションの実現に向けた取り組みがされているとの印象を持ちました。
慶應大阪シティキャンパスには慶應義塾由来の書類や写真等も展示されていますので,皆さんも,是非1度,見学等に行かれてみてはいかがでしょうか。ただ,グランフロント大阪は敷地が広く,ビルもエレベーターも多数あるため,慶應大阪シティキャンパスに行かれる際には,迷子にならないようお気をつけ下さい。
康乗克之(昭58商)
2013年の新年例会は、1月14日の夕刻にポートピアホテルで開催されました。ゲストスピーカーは慶應義塾大学体育会蹴球部監督の田中真一氏です。全国大学ラグビー選手権を戦い終えたばかりの現役監督の熱い講演に、40名を超えるメンバーは大いに盛り上がりました。
大学卒業後の数年間神戸製鋼に在籍した田中氏にとって神戸は第二の故郷。スピーチはキックオフ直後から全開状態でした。
本日のテーマは「我かく戦えり、慶應ラグビー113年目の挑戦」とタイトルされていますが、言い換えれば「学生スポーツは、慶應ラグビーとは」という問いかけでもあったわけです。
田中氏は、学生スポーツを「教育の場」と言い切りました。そして慶應の原点である体育会の精神に触れられ、「練習を通じて不可能を可能にすることの体験」、「フェアプレーの精神」そして「友(我々の心にあるよきものは友によって繁る)」という3つの言葉を紹介されたのです。
慶應ラグビーに対する思いは誰にも負けないほど強いものです。英国人EBクラーク氏とともに日本にラグビーを伝えた田中銀之助氏は彼の曽祖父。銀之助翁をそしてラグビーフットボールを心から慕っている彼の心根に目頭が熱くなりました。
最後に、いまの学生達に伝えたいこと。「挨拶をすること」、「話をするとき相手の目を見ること」、「ものを大切にすること」、「嘘をつかないこと」の4点だそうです。この心がけから信頼関係が生まれると仰いました。現実にはいまの学生は効率や効果ばかりを追求します。蹴球部も同様で、「厳しい練習」は影を潜めていました。それを元に戻すことが自分の113年目の戦いであったと話を締めくくりました。彼がどれだけ学生と本気で向き合い戦ったか、関係者は知っています。そして昨夏、久方ぶりに「地獄の山中湖合宿」が復活したことも。田中監督、感動的なお話をありがとうございました。
細田浩之(昭58政)
3月15日(金)18時半より、神戸北野にある100年以上の歴史を持つ洋館中華料理店「東天閣」にて、毎年恒例の3月例会が開催されました(参加者35名)。土井幹事長の司会のもと、佐井会長のご挨拶によりはじまりました。
今年度も、東天閣オーナーであります中神先輩には、多大なるご配慮を頂き、佐井会長のご挨拶を受けて、神戸慶應倶楽部例会へのメニューには、インフレは存在しないとの力強い発言をいただきました。(拍手喝采!)
神戸慶應倶楽部例会限りスペシャルメニューの内容をご紹介しますと、【伊勢エビ付き前菜盛り合わせ・海鮮入りふかひれスープ・海老の二種盛り(チリソース・マヨネーズ)・揚げ物二種盛り(蟹春捲・鮑)・牛肉の醤油煮込み(饅頭付き)・東天閣名物山東焼鳥・ジャージャー麺・鳴門金時芋の飴炊き・季節のプリン(フルーツ添え)】といった9品でしたが、何れの料理も流石!東天閣ならではの美味しい料理であり、ビール・紹興酒とともに、大いに堪能することができました。
例会の最後には、阪本副会長からのご挨拶をいただき、新入会員で、応援指導部出身の鈴木聖也(平24・政)のエールの下、肩組ながら、若き血の合唱でお開きとなりました。あっという間に2時間以上が経過しましたが、早くも来年3月の例会が楽しみになってきました。
最後になりましたが、毎年のことではありますが、中神先輩はじめ、東天閣の皆様には大変お世話になりました。感謝の意を表して、3月例会のレポートを終わります。
土井正孝(昭63商)
毎年恒例となっている「福澤諭吉先生誕生記念祝賀会」が去る1月10日(木)シェラトン都ホテル大阪にて開催されました。塾からは清家塾長はじめ北村塾員センター課長、島根秘書担当課長がご出席され、また、関西の慶應倶楽部・三田会からも多くの方々がご出席されました。
祝賀会は、清家塾長のご講演と懇親会の二部構成で行われました。塾長のご講演では、「信濃町キャンパスの医療予防センター」「矢上キャンパスのテクノロジーセンター」「今年4月に横浜市青葉区に新設される小学校」「塾生・塾員のオリンピックでの活躍」「被災地学生への奨学金でのサポート」「大阪リバーサイドキャンパスの移転」など、最近の塾における動きについてのお話をいただきました。また、「大学教育の果たす役割」について、福澤先生の「学者は国の奴雁なり。」、小泉信三元塾長の著書に出てくる、谷村博士の「すぐに役立つ人間は、すぐに役立たなくなる人間である。」という言葉などを引用されお話されました。そして、「大学の評価は塾員のありようで決まる」と。
塾長ご講演の後場所を移し、懇親会が行われました。懇親会では塾員間の名刺・情報交換と和やかな歓談が続き、「若き血」を大合唱し、会は盛会のもと終了しました。
郷田誠紀(平6商)
平成24年12月8日(土)、ルミナリエの煌びやかな電飾と大勢の人で賑わう東遊園地のそば、神戸銀行倶楽部にてクリスマス家族例会が開催されました。
総勢26名の方が集まり、定刻を少し過ぎた19:00より、土井幹事長の司会のもと、パーティーが始まりました。佐井会長のご挨拶、五代顧問の乾杯の後、お寿司、ローストポーク、タンドリーチキン、パエリア、カレーetcと、ホテルオークラのケータリングによる料理に舌鼓を打ち、また、今年もアサヒビール様より協賛いただきましたビール・ウーロン茶で喉を潤しながら、和やかに歓談が繰り広げられていました。
空腹が満たされた辺りで、初参加の上原隆志会員より、自己紹介と奥様のご紹介がありました。
その後、しばし歓談の後、会が始まって1時間30分程経過した頃、恒例のオークションタイムの開始となりました。今回、浦上評議員はご出席されていたものの、お仕事上のご都合により途中でご退席されたため、土井幹事長がピンチヒッターでオークションの司会をされることとなりました。かくして、浦上婦人と土井幹事長の司会によるオークションとなりましたが、急造コンビとは思えない軽妙なリードで、クリスマスグッズ、長尺パター、冬虫夏草、ワイン、焼酎、ゴルフボール、ポートピアホテルスイートルーム宿泊券といったバラエティに富んだ品々が競り落とされていきました。オークション売上総計は138,000円となり、盛大にオークションタイムが幕を閉じました。
堺副会長による終わりのご挨拶の後、松尾副幹事長のリードによる「若き血」斉唱とエールで、楽しいパーティーの散会となりました。
今年は、神戸慶應倶楽部にとって、関西合同三田会を主催した昨年からみると、比較的落ち着いた一年ではなかったかと思いますが、同時に、この日の佐井会長のご挨拶にもありましたように、慶應義塾指定寄付奨学金の創設等、着実な歩みがあった一年でもあったと思います。
慶應義塾の熱いつながりをあらためて確認しつつ、ルミナリエの喧騒を掻き分け帰途へ着きました。