会員便り(新入会員紹介)

2022年

2022年11月号掲載

≪新入会の挨拶≫

倉方哲絵(H18文)

平成18年文学部卒の倉片哲絵と申します。出身は埼玉県所沢市です。
2010年~2015年1月まで神戸に勤務しており神戸慶應倶楽部にお世話になっておりましたが、その後アメリカに7年間駐在し、この春に神戸に帰任し再入会させて頂きました。現在は住宅設備機器メーカーの海外事業部門で勤務しております。7年ぶりの日本生活は、電車通勤と「エコ袋を常に持って歩く」ことに慣れるのに少々時間がかかりました。
大学時代は体育会器械体操部の主務をしておりましたので、圧倒的に体育会活動>学業でした。アメリカ駐在中も何かと先輩・同期・後輩と会うチャンスがあり、「海を越えてもつながりつづける一生の仲間」を持てたことを本当にありがたく感じました。神戸でもまたそんなつながりをつくれたらいいなと思っております。どうぞよろしくお願い致します。

 

 

今中かな子(S55文)

はじめまして。昭和55年文学部卒の今中かな子と申します。
『神宮球場』『若き血』『丘の上』の話を塾員である父から聞いて育ち、早慶戦に憧れ、神宮球場を目指して慶應義塾に入学いたしました。ちなみに、神戸っ子。阪神タイガースファンです。大学生活――テニスの同好会やサッカーの同好会、ゼミ等を通して、共に過ごした友人との絆、共に過ごした多くの時間は何ものにも変えがたい宝物となりました。今尚、集まれば「あの頃」にすぐ戻れる特別な仲間、慶應ならではなのかと思っています。
実は、卒後(40年程前ですが)貴倶楽部に家族と共に入会し、多くの大先輩方にお世話になりました。家庭的な温かい雰囲気で、また、神戸にいながら東京の風も感じることができました。結婚後は、神戸の地を離れ疎遠となってしまいましたが、今回、友人からお誘いを受け、再び入会することができ、とても嬉しく思っています。皆様と交流を深め、新たな空間を共有できることを楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

三木政英(R02文)

憧れの神戸慶應倶楽部のみなさん。
三木政英と申します。令和2年文学部卒・50歳です。私は通信教育課程(学士)を3年で卒業いたしました。慶應に通信があることを知ったのは芦原先生との出会いでした。以前も通信で学んでおり、芦原先生に「慶應にも通信があるよ」「慶應はいいよ」と何度もお聞きしていました。しかし、私にとってはあまりにも高すぎる壁であり躊躇していましたが、入学後はそれまでの学びを活かしなんとか卒業することができました。まだまだ若輩ものですので神戸慶應倶楽部のみなさま、ご指導よろしくお願いします。普段は一会社員ですが、趣味は人の話を聴くことですのでこれからもたくさんお話を伺うかと思います。卒論は経営と倫理の関係で、特に経営理念についてとても興味があります。一つだけ自慢はクラウドファンディングで山食内に銘板があり、慶應に対する愛はかなりあります。みなさまとの交流をとても楽しみにしております。

 

 

小野晋司(R03文)

はじめまして。令和3年に文学部美学美術史学専攻を卒業しました小野晋司でございます。出身は福島県いわき市の港町で、卒業後、関西地方にやってまいりました。阪急阪神百貨店に勤務し、現在は西宮阪急の婦人ファッションで修行中です。
大学時代は専ら舞台観劇をしておりました。特にミュージカルが多かったですが、オペラや歌舞伎、ストレートプレイなど、劇場と呼ばれるところで上演されているものなら何でも観に行き、多いときは年間100本以上観劇した年もございました。観るだけでは飽き足らず、オリジナルミュージカルサークルでは脚本を書いておりました。集大成となる、福澤諭吉先生の生涯をゴージャスに描いた慶應生によるグラン・ロマン、「ミュージカル『YUKICHI』」。パンデミックで上演が叶いませんでしたがいつか世に出したいと密かに思っております。
関西での生活は来年4月で3年目に入ります。皆さまと交流させていただけるご縁に心から感謝します。若輩者でございますがどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2022年9月号掲載

≪会員投稿≫

メガネを常用されている皆様へお知らせ
高田医院 高田育明

小林香音、絵美里姉妹のヴァイオリンコンサートのご案内をさせていただきました淡路島の高田医院 高田育明(医学部 昭和51年卒)です。
さて、今回はメガネを日常かけていらっしゃる会員の皆様にお知らせします。
高齢になってくるとたった一度の転倒・大けがはその人の人生を大きく左右します。
先日、大阪の駐車場で大転倒をして、胸と額を強く打ってしばらく起き上がれませんでした。
ちょうど軽くトラブルがあり、焦っていたのも確かですが、マスク・メガネでメガネが曇っていて予期せぬ足下の段差が全く見えませんでした。痛てーえー!!
起き上がれず通路にそのまま倒れていると通行人から救急車を呼びましょうか?の声をかけられる始末です。
幸い、大きな外傷・出血はなく、骨折もなさそうなので転倒したまましばらく通路で寝ていました。
15分くらい経過して、何とかひとりで起き上がれ、打撲はありましたが大きな外傷はありませんでした。
転倒の原因は私の不注意にもありますが、マスクをしていて息でメガネが曇って足下が見えなかったことも大きく影響していました。
メガネをかけない方には分かっていただけないでしょうが、マスクをかけてのメガネの曇りは、事務仕事、診察中、外出先でもずっと煩わしいものでした。
特に、コロナ禍で常時マスクをつけて、たびたびメガネが曇ることは非常に煩わしく感じていました。
メガネをかけたままラーメンを食べている姿を想像して下さい。
何とか解決策はないものか?「そうだ!メガネの曇り止めを使っては?」早速アマゾンを開いて検討しました。
 まず一番簡単な「メガネ拭きタイプ」を検討しました。
  「youfo」のメガネ拭きクロス、1000円前後で No Fog・cloth 界面活性剤をしみこませたメガネクロスで、600回使用可 効果持続時間 24時間とうたっていました。
半分だまされても良いと考え、試しに1枚購入しました。
配送を待ってすぐ試して見ました。
これが効果抜群!息を吹きかけてもほとんどメガネは曇らず、その後快適生活です。
ラーメンを食べてもメガネが曇りません!!
職員にも「目元スッキリ 仕事効率アップ!」と記入し1枚ずつ配布しました。
コロナ禍の2年余りのどんよりしたマスク生活が少し軽減しました。
台風や雨が多い昨今ですが、目元だけはスッキリしています!!
足下の安全、仕事の効率アップも期待できます。
メガネ常用の皆様方のお役に立てばと投稿させていただきます。

 

≪新入会のご挨拶≫

野坂 武(S63経)

昭和63年経済学部卒の野坂です。
生まれも育ちも東京ですが、今回3度目の関西勤務で、先輩方とのご縁もあり、入会させて頂きました。
大学時代の思い出は、スポーツ観戦、ラーメン二郎、スキーサークル活動、ゼミ活動、日々の飲み会等ありますが、今でも一緒に集まれる仲間が出来たのは、大きな財産です。
在学中は、よくスポーツ観戦に行きました。野球は志村・鈴木哲投手等の活躍で二度優勝パレードできたこと、ラグビーは日本選手権でトヨタ自動車に勝ち日本一となった試合を観戦できたこと等懐かしい思い出で一杯です。
実は、今回の転勤で引継ぎを受けたのが3年先輩で応援指導部の方でした。
1年生の時、その人の振りに合わせ神宮で大声出して応援していたと思うと不思議な縁を感じます。
また、今回家族3人で一緒に住むことになりました。
まだ知らないスポット等皆様に教えていただくことを楽しみにしています。

 

2022年6月号掲載

≪新入会のご挨拶≫

岡田 亮一(H1経)

神戸の公立中学校を卒業後、父が塾員だったこともあり、親元を離れ慶應義塾志木高等学校に入学し、のどかな環境の中でとても楽しく3年間を過ごしました。
大学は父と同じ経済学部に進学し、日吉時代はテニスサークルの活動に明け暮れていましたが、
3年で間違えて(?)入ってしまった、後に塾長になられた鳥居泰彦先生のゼミがかなりハードで三田ではしっかり勉強させていただきました。
暗くなるまで研究室にいることも多かったですが、幻の門を出て左を見たときの東京タワーの美しさは印象に残っています。
大学時代の最も記憶に残っている思い出は1986年1月15日に上田昭夫監督率いる塾蹴球部が、
社会人チャンピオン・トヨタに勝利し日本一に輝いた日本選手権を国立競技場で観戦したことです。
あれを超える感動はジャンルを問わずいまだにありません。
神戸慶應倶楽部でさまざまな分野で活躍されている塾員の皆様と交流させていただけることを楽しみにしております。

 

山田 慎二(H28商)

はじめまして、平成28年商学部卒業の山田 慎二と申します。
父や兄が塾員であったため、幼き頃から馴染みはありましたが、本格的な慶應との出会いは、慶應義塾志木高校へ入学した15歳の頃からです。
在学中はラグビーに明け暮れ、花園出場に向けて、真剣にラグビーに向き合いました。度重なるケガや痛みに、苦しい思いをしつつも高校、大学とラグビーに取り組みました。現在も、芦屋クラブというチームで毎週行っているラグビー活動が自身の楽しみとなっております。
卒業後は日本生命保険相互会社へと就職をし、丸5年勤めましたが、昨年の6月よりフルコミッション営業という厳しい世界にチャレンジしたい思いから、アクサ生命保険株式会社へと転職をいたしました。大変である反面、多くの方に出会うことができ刺激のある生活を送ることができております。
神戸慶應倶楽部の皆様とのこれからの素敵な出会いをして、仕事のことや人生のことなど、いろいろなことを教えていただけたら幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

鈴木 春香(H25文)

2013年文学部卒業の鈴木春香と申します。
大学時代は文化人類学を専攻。卒論で福島・会津のマタギ(熊を撃つ百姓)を取り上げましたが、フィールドワークばかりして学術書はほとんど読みませんでした。
そんな楽しい体験が生きて(?)新聞記者になりました。10年目になり、現場を歩くだけでなく書物を読む大切さを身にしみて感じています。
出身は三木市。兵庫と東京と半々ずつで育ちました。社会人になってからは広島→大分→名古屋→東京→ドイツ→東京→神戸とあちこち転勤してきました。20年ぶりに兵庫県に戻ってこられて、嬉しい限りです。
慶応倶楽部には大分県に住んでいたとき以来の加入になります。みなさまとの交流をとても楽しみにしております。どうぞよろしくお願い致します。

 

 

狩野 隆太朗(H29総)

神戸慶應倶楽部の皆様
はじめまして。平成29年総合政策学部卒の狩野隆太朗(かのうりゅうたろう)と申します。
塾高、大学と途中で寄り道しながらも計8年間慶應義塾にお世話になりました。
大学では上山信一教授のもとで経営戦略ゼミに励み、卒業後に(株)博報堂に入社。今年の4月より、(株)Sports&Lifeにてイニエスタ選手のスポンサーセールスの責任者として、神戸にやってまいりました。2年ほど前までは前職の関係で大阪に3年ほど住んでおり、関西が大好きになりました。
この度また関西に戻ってこられたこのご縁と、皆様とのご縁を是非大切にしていきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いいたします。

 

 

八代 慶子(S57法)

この度、入会の承認を頂きました1982年法律学科卒の八代慶子です。
私は約40年前に神戸慶応倶楽部に入会していましたが、その後、夫(一応?慶応卒です。)の転勤に伴い神戸を離れ、その内に行方不明部員になっていました。
今回、お会いした方から神戸慶応倶楽部のお話を伺う機会があり、是非、もう一度、入会したい気持ちになりました。父も神戸慶応倶楽部に入会しておりましたので、学生時代に参加した家族会は、和気あいあいとして、活気があり、神戸弁(〇〇しと~ん?)が聞こえる楽しい会合だった事を覚えています。
愛犬が、長距離散歩に付き合ってくれなくなったのがきっかけで、ジョギングを始めましたが、最初のフルマラソンが神戸マラソンでした。
終盤の浜手バイパスの勾配は、車の運転ではわからない厳しいものでしたが、とても素晴らしい景色でした。
これからも色々な視点から神戸を満喫したいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。

 

 

下山 健太郎(H6商)

皆様はじめまして、平成6年商学部卒業の下山健太郎と申します。
のどかな岡山で育ち上京し、塾生時代は体育会自動車部に所属しました。当時の部室と車庫は三田校舎の片隅にあり、年中正装(学生服)で登校し、普段の部活動中は油と汗で染まった整備服を着用し、校舎横で試合車の整備やトラックの洗車をしていると、大半の塾生からは隣の安藤建設の作業員と見分けがつかなかったようでした。
マイナーな部生活の一方、慶早戦後の六大学野球優勝パレードの先頭を31フォードでけん引した華やかな光景を今でも思い出されます。
卒業後は阪急百貨店に就職し震災直後より神戸に7年間居住しておりました。その後理学療法士と介護支援専門員の資格を取得ししばらくは神戸を離れ、岡山の医療機関に勤務しておりましたが、今年4月から再度神戸に戻って参りました。
医療従事者として新型コロナウィルスの収束を強く願い、皆様がいつまでも住み慣れた神戸でいきいきと自分らしく健康生活が維持できるようお役に立ちたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

中西 達二(H4法)

平4法卒の中西達二と申します。この度はサークルの先輩である松尾副会長からご紹介頂き、入会させて頂きました。
出身は神奈川県(横浜翠嵐高校)です。学生時代はテニスサークルのT.L.A.に、ゼミは会社法の宮島司先生のゼミに所属していました。
三菱電機に入社し30年目になります。24年が東京、2年が福岡で単身赴任、そして神戸での単身赴任が4年目になります。和田岬の製作所(主に上下水道や河川・道路・鉄道の監視制御システムの製造)で機種マーケティングに携わっています。
家族は妻と長女(社会人1年目)、長男(早大2年)の4人家族。子供も手が掛からなくなってきたので、半分本気(半分冗談)で『都会で自然豊かで穏やかな気候の神戸で共に過ごそう』と妻を誘っておりますが、実現の可能性は低そうです。塾員の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

 

細田 浩之(S58政)

1983年(昭和58年)法学部政治学科卒の細田です。神戸慶應倶楽部には2010~13年、神戸勤務 芦屋在住時、会員として在籍しました。
現在は東京在住・勤務ということで地方会員となります。
塾生時代は、体育会競走部に所属、短距離(100、200、400mリレー)と100m9秒95の日本記録保持者山縣君、
9秒98の記録を持つ小池君が後輩です。
現在は慶應陸上競技俱楽部(競走部OB会)理事をしています。
体育会ゼミと言われた生田正輝ゼミ(マス・コミュニケーション論)に所属。
大学卒業後、三井物産に入社、2020年3月末37年間の勤務を終え、定年退職。在籍中4回の海外駐在(2回チリ、シンガポール、メキシコ)と本社と海外駐在以外、唯一の勤務が神戸、神戸第4工区の食品コンビナートにある甲南ユーテイリテイ出向。その際、神戸慶應倶楽部入会のきっかけとなったのが、三井物産同期入社 赤羽衆院議員(前国交相)紹介でした。神戸慶應倶楽部では、2011年関西合同三田会@神戸では、塾同級生の紺野美沙子さんを招致しました。
2019年関西合同三田会@神戸に参加の際、ジャズピアニストの小川理子さんに再会。来年は、神戸慶應倶楽部100周年を一緒にお祝いしたいと思います。
三井物産卒業後、2020年4月~一般社団法人 全日本コメ・コメ関連食品輸出促進協議会(全米輸)で専務理事として、日本産コメ・コメ関連食品の輸出促進に従事しています。神戸慶應倶楽部の皆様との再会を楽しみしています。

2022年4月号掲載

≪新入会のご挨拶≫

梁 起豪(1994年 慶応義塾大学大学院法学研究科卒業 駐神戸大韓民国総領事)

皆様、はじめまして。1994年3月に慶応義塾大学大学院の法学研究科を卒業した梁起豪(ヤンギホ)です。私は昨年12月に駐神戸大韓民国総領事として赴任し、素晴らしき町の神戸で日々本業をこなしつつ、日常生活に適応してきております。福沢諭吉先生と兵庫県により設立された神戸商業講習所など、慶応義塾とゆかりの深い神戸での仕事は、私にとって非常に光栄で、有意義なことであります。
1988年から1994年まで6年間、三田の留学生活は学業に励みながら多くの良き友人との出会いの連続でした。学内で法学部長や日本政治学会の理事長などを歴任された尊敬する堀江湛先生のご指導のもとで選挙制度や地方自治を勉強しました。数年前に亡くなられたことは残念ですが、全国各地で堀江先生の門下生が活躍しており、連絡を取り合っています。当時、ゼミ生と討論を重ね、夜を明かして春合宿の準備を終えたあと、黎明の富士山を眺めたことは今も記憶に残っています。慶応仲通の商店街にある居酒屋つぼ八で、楽しく友人と杯を交わしたことも思い浮かびます。
駐神戸大韓民国総領事館は兵庫県、岡山県、鳥取県、香川県、徳島県を管轄しており、この地域における日韓両国間の友好親善と交流拡大に努めておりますので、皆様のご関心とご支援をお願い申し上げます。近いうちに対面でお目にかかることを楽しみにしています。

2022年1月号掲載

≪新入会のご挨拶≫

丸田 力也(平7環)

はじめまして、平成7年環境情報卒業の丸田力也と申します。

在学時はパラグライダーに明け暮れ、海外遠征や、インストラクターとして働くなど、真剣にパラグライダーに向き合いましたが(三田評論にも掲載されました)、何度か死にかけたこともあり、大学卒業を機にパラグライダーも同時に卒業いたしました。現在は、登山と野球を趣味にしております。卒業後は外資系広告代理店にてアートディレクターに従事した後、独立して広告会社を営んでおります。

仕事の関係で神戸に引っ越しをしてきましたが、東京生まれ、湘南育ちのため、今までは、ほぼほぼ神戸に縁のない人生でした。ただコンパクトにまとまりながらも、多様な雰囲気がぎゅっと詰まっている神戸での生活が、すでに楽しくて仕方なく、神戸暮らしを満喫しております。神戸慶應倶楽部のみなさまに、神戸をもっと教えていただけることを楽しみにしております。何卒よろしくお願い申し上げます。