はじめまして!
平成13年文学部卒の竹間と申します。
私はジョーンズ ラング ラサール(JLL)という米国本社の不動産会社でオフィス・物流施設の運営管理に携わっており、関西不動産三田会にも参加しております。
西宮市に妻と子供3人と在住し、勤務地は大阪ですが、神戸には業務上もプライベートでも訪れる機会が多く親しみがあり、本会に入会させて頂きました。
在学中は“K.M.P.ニューサウンドオーケストラ”というジャズのビッグバンドでベースを担当しておりました。
大学3・4年時には山野ビッグバンドジャズコンテストという全国大会で2年連続入賞する事ができ、優れた仲間に恵まれ良い時間を過ごせたと思います。
また、専攻は哲学でしたが、哲学の「自由に発想し、徹底的に考える」という姿勢が、いま働いている外資系企業の自由な環境と思想に合っている様に感じ、
いまある自分は正に大学生活のおかげかなと思っています。皆様今後もよろしくお願いいたします!
本年5月に森本泰暢先輩のご紹介で入会させていただきました笠原秀介です。
平成3年理工学部管理工学科卒(塾高38期)で、4月に東京海上日動火災保険の兵庫本部に赴任しました。人生で東京を離れて生活するのは、
若い頃の宮崎市、前任地の仙台市に続き3度目。趣味の単車(900cc)や少林寺拳法は腰痛の為、3月より休業中ですが、
初めての関西で美食や温泉巡り等、沢山の想い出を作りたいと考えています。
齢50半ばにして、サラリーマン生活は仕舞支度が近づく中、会社の名刺によらない人とのお付き合いを大切にしたいと黙考する今日この頃です。仕事を離れ、
神戸慶應倶楽部の方々と親睦の機会を持てることは大変有難く、何はともあれ健康第一に神戸での生活を楽しみたいと思います。皆さま、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
2008年 文学部人文社会学科図書館・情報学専攻卒業の安部佑樹と申します。
日本製鉄の子会社である日鉄ケミカル&マテリアルという会社で数年間、経理や税務・内部監査などの仕事に従事したのち、地元である神戸に帰ってまいりました。
現在は父が創業したハーバー税理士法人で副所長を務めつつ、西宮北口に居を構えております。
大学のときはバックパッキングクラブという登山サークルの幽霊部員をしながら、税理士の勉強に励んでおりました。高校まではあまり周囲になじめないまま過ごしてきたのですが、入塾するとどことなく自分と似たような(どこかこじらせた)人たちが沢山いて、居心地の良さを感じたのを覚えています。
神戸に帰ってきたのはコロナ禍の真っ只中で、それが終わったと思ったら今度は育児に忙殺されてあまり神戸のお店を開拓できずにいたので
色々教えていただけると嬉しいです!
神戸慶應倶楽部会員の皆様、この度ご縁あって入会させていただくことになりました坂本和也と申します。宜しくお願い致します。
私は、2023年の9月に経済学部の通信教育課程を卒業いたしました。パンデミックという異常事態において学習以外の様々な制約によって予定よりも
一年半卒業が遅くなってしまいましたが、それも含め貴重な学生生活を送れました。振り返ってみると学び直しの大学生活は思った以上に大変でした。
地方学生であるため、三田や日吉には期間限定でしか行けませんでしたが、楽しかったです。
住まいは大阪府東大阪市です。趣味は、ゴルフと旅行です。
ゴルフは塾生期間は一時休止致しておりましたが、卒業を機に再開いたしました。腕前は全然ですが、
活動が盛んなゴルフ同好会に参加させて頂きながら腕前の上達と会員の皆様との交流ができたらと考えております。皆様とお会いできるのを楽しみにしております。
2008年 文学部人文社会学科図書館・情報学専攻卒業の安部佑樹と申します。
日本製鉄の子会社である日鉄ケミカル&マテリアルという会社で数年間、経理や税務・内部監査などの仕事に従事したのち、地元である神戸に帰ってまいりました。
現在は父が創業したハーバー税理士法人で副所長を務めつつ、西宮北口に居を構えております。
大学のときはバックパッキングクラブという登山サークルの幽霊部員をしながら、税理士の勉強に励んでおりました。高校まではあまり周囲になじめないまま過ごしてきたのですが、
入塾するとどことなく自分と似たような(どこかこじらせた)人たちが沢山いて、居心地の良さを感じたのを覚えています。神戸に帰ってきたのはコロナ禍の真っ只中で、
それが終わったと思ったら今度は育児に忙殺されてあまり神戸のお店を開拓できずにいたので色々教えていただけると嬉しいです!
このたび、伝統ある神戸慶應倶楽部に入会を認めていただきました、澤田雅浩です。
1990年に湘南藤沢キャンパスの環境情報学部一期生として入学し、その後、大学院政策・メディア研究科の修士課程・博士課程と10年間、塾生生活を送りました。
修士1年生のときに発生した阪神・淡路大震災が大きな契機となり、都市計画の中でも災害復興計画を専門として現在に至ります。2000年から2017年までは新潟県長岡市に暮らしておりましたが、
その後、HAT神戸に立地する人と防災未来センター内に設置された兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科に異動し、神戸で暮らすこととなりました。
山あり海あり、そして港町としての風情があるこの街での生活を満喫するはずが、コロナ禍の影響でなかなかそうもいきませんでしたが、ようやく本格的にいろいろ活動できそうです。
そんな折に多くの塾員の皆さまと交流できる場に加わることができたことは大きな喜びです。どうぞよろしくお願いします。
中内豊(昭57商)
このたび、歴史ある神戸慶応倶楽部に大澤弘一先輩のご紹介で入会をさせていただきました昭和57年商学部卒業の中内豊と申します。
“はじめまして”と言うより“ご無沙汰いたしております”と申し上げた方がよろしいかもしれません。
去ること20年ほど前に神戸慶応倶楽部の会員として、当時、皆さま方と親しく交友させていただいておりました。その節には大変お世話になりました。
その後、仕事等の関係もあり、神奈川県・東京・大分県など各地を転々として、5年ほど前に神戸に戻ってまいりました。また、みなさんと交流を深めさせていただければとてもうれしく存じます。
現在は、再生可能エネルギー関係の仕事をしております。大分県のお力添えで数年間風力発電機開発の事業に携わらせていただいたことをきっかけに自家消費型の太陽光発電などの工事などもさせていただいております。
また、兵庫県の温暖化防止推進員としてボランティア活動などもさせていただいております。また例会などでお目にかかりました折にはお気軽にお声がけいただければと存じます。
宜しくお願いいたします。