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福澤先生の演説自筆原稿を神戸市の民家倉庫で発見

 奇しくも神戸慶應倶楽部70周年の平成11年、福澤先生の自筆の演説草稿が神戸市で発見されました。自筆原稿の発掘は極めて珍しく、11月7日付日本経済新聞に詳しく掲載されたため再録してご紹介します。
 慶應義塾の創始者で「学問のスゝメ」などで知られる思想家、福澤諭吉の自筆の演説草稿が六日までに、神戸で見つかった。予定していた演説会が中止になったため、草稿を新聞に掲載してもらおうと関係者に送ったものらしい。西洋のスピーチを「演説」として日本に根付かせた第一人者にもかかわらず、自筆草稿は極めて珍しいという。草稿も自由民権論を巡る当時の風潮に警鐘を鳴らす内容で、研究者は「諭吉の思想形成の過程を調べる上で貴重な資料になる」としている。 

※写真は神戸慶應倶楽部ルームにおいて調べられた演説用草稿と書簡

自由民権論の偏りに警戒感

 草稿は今春、神戸市の民家の倉庫で保管されているのが発見され、慶應義塾福澤研究センターの坂井達朗所長が6日、現物を見て、詳しく調べた。
「神経質なガラス棒で書いたような」(坂井所長)筆跡の特徴や内容などから、明治6、7年ごろ、40歳ぐらいの時のものと見られる。既に東京に慶應義塾を創設し、「学問のスゝメ」を世に出し続けていた時期だ。
 草稿では当時盛んになった自由民権論について、政府に反抗することなどが民権とはき違える人がいると指摘し、「人民の権利を広げるのは結構だが、自分の義務を自覚してこそ本当の権利の拡張につながる」と本を読み、学問するよう戒めている。500字足らずで、演説の筋書きを書いたものらしい。
 草稿とは別に、「川崎での演説会に招かれる予定で草稿を作って待っていたが取りやめらしい。せっかく原稿を用意したので貴男の新聞に余白があったら載せてくれないか」との依頼文も書かれているが、あて名はなく、実際に新聞に掲載されたかも不明だ。
 文章の上から線が引かれ書き直すなど推敲(すいこう)の跡や、「嗚呼(おこ)がましい」といった福澤諭吉独特の当て字も見られる。
 福澤諭吉は西洋のスピーチを日本に取り入れ「演説」という字を当てたとされ、自ら演説を実践する一方、明治9年には義塾内に「三田演説館」を建て普及に力を入れた。
 草稿執筆当時はまだ演説会も珍しい時期。「奨励のつもりだったのか、多忙の中、川崎にまで行こうとしたのが興味深い」と坂井所長。さらに「民権論への偏りに警戒感を持ち、民権と国権の調和が大事という福澤諭吉らしい思想が表れている。今後、書かれた時期などをさらに詳細に調べたい」と話している。

大正時代に鑑定か

 今回見つかった演説草稿は、大正九年に当時の鎌田栄吉・慶應義塾長が鑑定したとみられ、別 の福澤諭吉の短い書簡や、鎌田塾長が諭吉の言葉を書き記した書とともに一巻の巻物に表装されていた。
 もう一つの短い書簡は、慶應義塾の出版局に勤めていた男性にあてたもので、
「民情一新の見本仕立ての本があったら貸して欲しい」との内容。「民情一新」を出版した明治12年8月(46歳当時)より少し前に書かれたらしい。「晩年の太い筆跡に変わっていて、草稿の字との対比が面 白い」(坂井所長)
 福澤諭吉が書いた書簡は1万通にも及ぶともいわれ、現在約2500通を確認している。没後100年(2001年)の記念事業として書簡集を出版するため、福澤研究センターが新たな書簡の発掘に取り組んでいる。