会員の輪

2011年

≪社会人になって7年≫

永島 政和(平17経)

神戸慶應倶楽部に入会させていただいてから3年、社会人になってから7年が経ちました。振り返ってみますと月日の過ぎる早さを痛感しております。私ごとで恐縮ではありますが、少し思い出話をさせて頂きますと、私は島根県の田舎に生まれ、中学卒であった父親からの教えは「将来やりたい事をやるために、大学を卒業しなさい。それも誰もが知っている大学を。」でした。

それにどれ程影響されていたのかは定かではありませんが、中学、高校時代はそれなりに勉強をし、念願の慶應義塾大学に入学出来たとき、恥ずかしながら「人生はこれで全てがうまくいく」と本気で思っておりました。それは両親の教えであったような気がしますし、受験生時代の自分自身への動機づけの結果であった気もします。

その達成感、解放感からでしょうか、あるいは性根でしょうか、入学してから卒業まで、これといった専門的な資格を取得する様なこともなく、大学には中途半端に通いながらアルバイト等をし、ふらふらとした怠惰な日々を送り続けてしまいました。日雇いで得た小銭で食をつなぎ、喫煙をし、飲酒を覚えて時間を浪費する安穏とした生活です。
しかしそれでも時はあっという間に過ぎ、就職活動の時期が訪れました。とくに特技もない私は当然のようにサラリーマンとしての道を選ぶことになるわけであります。遅まきながらもここで始めて、就職活動の準備をする中で、この数年研鑽を続けてきた塾生と私とでは大きな差が出来ていたことに初めて気付きました。とてもではないが、東京(というよりも都会)で周囲の同級生と同じフィールドで競い合うことは出来ないことを自覚し、失われた年月を取り戻すには、生まれ故郷で飲み慣れた水で、再度一念発起するしかない、と結論を出したのであります。

結果、通称Uターンで地元島根の地方銀行に就職をする(経済学部であればそれなりに何とかなるだろうという思惑もあり)訳ですが、道は思ったよりも険しく、未だに彼らとの差を埋められたとは到底思えない中、日々過ごしています。これといって大学で得た知識は無く(というよりも得る努力をしなかっただけの身から出た錆ですが)、そのわりに自尊心は人並み以上。一方で周囲に同門の先輩がいる訳でもなく、ただ普通の若い社員として猪突猛進をすることを余儀なくされたのが社会人1年目の現実でした。

初任店は地元山陰でしたが、その後現在の神戸に赴任することになり、結果として金融業界では競争の激しいと言われる地へ足を踏み入れることになります。田舎ものが学生以来、再び市街地へ出ることは何かと思うところも多かったのですが、幸いにも神戸では神戸慶應倶楽部の皆様をはじめ、多くの同門の先輩方と交流をさせて頂き、身に余る充実した生活をおくることが出来たことは、僭越ながら初めて慶應義塾大学を卒業して良かったと思えた瞬間でもありました。

前述の通り神戸では3年が過ぎ、転勤族である以上は次いつどこに動くか定かではない現状ではあります。しかしこの地での様々な経験は必ずや今後の糧になるものと痛感しておりますし、またそれを活かすことで幾ばくかの親孝行、もしくは同級生にも見劣りしない一人前の社会人に近づけたらと思い、精進に努める今日この頃であります。

≪ドイツの春の風物詩≫

坂本 憲一郎(平6環)

皆さん、ドイツといえば何を思い浮かべますか?
ドイツと言えば何といっても、ビールとソーセージでしょう。

毎年9月から10月にかけて、世界的に有名なビールの祭典、オクトーバーフェストがミュンヘンにて開催され、600万杯以上のビール、30万食以上のソーセージが消費されます。
ただ、わざわざオクトーバーフェストに行かなくても、ドイツではどんな小さな町でも、ビールとソーセージにお目にかかれない場所はありません。では、ドイツ春の風物詩といえば何でしょう?

ドイツ人やドイツに住んだことがある方なら、必ず「シュパーゲル(Spargel)」=白アスパラガスと答える筈です。5月の中旬から6月にかけて、日本のアスパラとは全く違う、大きいもので直径は2~3㎝、長さ25㎝という巨大サイズの白アスパラガスが、スーパーの店頭に大量に並び、それをドイツ人が大量に買い込む姿をあちこち目にすることが出来ます。

レストランでも必ずと言っていい程、春のメニューにはアスパラガスが掲載されます。とにかく国中がアスパラガス一色になるのです。家電売り場では、アスパラ専用の縦長ボイル鍋なんてものも売っています。日本の秋の味覚、松茸と言いたいところですが、イメージは兵庫県のいかなごに近いかもしれません。実は日本でも毎年ドイツ大使館や領事館主催のアスパラガスパーティが開催されており、贅沢にドイツから空輸されたアスパラガスを思う存分食べることが出来ます。

本当にドイツ人はアスパラガスが好きなようですね。皆さんも、機会があればぜひ食べてみて下さい。大きさ、味、食感など、日本の白アスパラガスとは全く違う、絶品のシュパーゲルが皆さんの舌を魅了すること間違いありません。

※写真は私が日本に持ち帰ったアスパラガス。横のペンと比較すると、如何に大きいかがわかります。

≪マイホーム購入→単身赴任→単身留学≫

手塚 祥平(平14法)

神戸慶應倶楽部の皆様、ご無沙汰しております。

と申しますより、本年は関西合同三田会が神戸にて開催される重要な年であり、私自身も倶楽部の幹事職に加え同会実行委員を拝命しているにもかかわらず、思うように諸会合に出席できない状態が続いており、皆様には大変ご迷惑をおかけしております。本稿をもちまして、深くお詫びさせていただくとともに、釈明を兼ねて近況のご報告をさせていただきます。何卒皆様のご理解、ご容赦を賜れればと願っております。

先ずは一昨年の春に長女(第一子)が生まれたところから。娘の成長に伴い当時の借家が手狭になったため、昨年春自宅を購入しました。以来家事の量は増加したものの、車の運転に慣れ行動範囲が拡大した妻と、屋内でも多少ながら走り回るスペースを得て同じく行動範囲が拡大した娘(拡大のせいか、生傷が絶えなくなりましたが…)とともに、それなりに順風満帆な家庭生活を送ってまいりました(その後の生活に不満があるわけではありません。念のため。)。

ところが、勤務先(法律事務所)にて、昨年夏より、愛媛県今治市に事務所(支店)を開設するという構想が持ち上がったころから、少々風向きが変わり始めました。今治事務所に誰が赴任するか、という所内議論で「手塚が適任ではないか」という話が持ち上がったのです。

「マイホームを購入した途端、転勤になる。」というのは巷ではよく耳にする話でしたが、弁護士業界においては別の地域の法律事務所に移籍するとか、別の地域で独立して法律事務所を開業するというような自己の意思で行動を起こす場合でない限り「転勤」はまずありえない、と(私は)思っていました。そんな妄想に反して手塚赴任論が持ち上がったときには「まさか自分にあの話があてはまるとは…」と、驚天動地の心境でした(ちょっと大げさです。)。

そして、(敢えて一言でまとめますが,実際は紆余曲折を経て)私が単身で今治に赴任することとなり、本年1月より平日は今治で仕事をし土日は神戸に帰る、という文字通りの単身赴任生活が始まりました。今治では周囲にも単身赴任の方がおられ、中には毎週家族の元へ帰ることが困難な方もおられますが、私自身は今のところ真面目に帰宅するようにしています。新幹線で飲むビール、美味しいです。

そんな単身赴任生活が始まったのもつかの間、今度は本年7月より1年強の予定で英国に留学することになりました(!)。最初に語学学校に通った後大学院に進学し、海事法の勉強をさせていただきます。当面の間は留学中も単身生活となる予定です。親のありがたみは親元を離れるとよくわかると言いますが、妻のありがたみも、妻の元を離れるとより強く実感することになるのかもしれません。

上記のような次第で冬に私を今治に押し流した東風が勢いを強め、7月には遠く英国まで吹き流されることになりました。様々な準備の都合もあり、神戸で皆様にお目にかかることも困難になってしまいました。重要な年に重要な役職を拝命しながら、さしたるお手伝いもできず、大変申し訳ございません。帰国後には微力ながら、少しでも皆様のお役に立てるよう努力したいと思いますので、今後とも変わらぬご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

≪全国高等学校ラグビー大会観戦記≫

土井 正孝(昭63商)

大寒波襲来の歳の瀬12月30日、9年ぶり33回目の花園出場を果たした、神奈川第一地区代表 慶應義塾高校蹴球部の応援に行ってきました。

当日は朝から雨がパラツキ、午後からは雪の予報。全身ヒートテックに身を包み、完全防寒のいでたちでいざ出発。会場到着時には雨もあがり、何とかこのまま試合を観戦出来たらという願いもむなしく、試合は雪ならぬ雨の中での観戦となりました。しかも、運悪く、屋根で雨をしのげる席には座れず、傘をさしながらの観戦となりました。観戦には、ラグビーが好きなわりにはルールをよく理解していない私をサポートするかのように、神奈川県ラグビー協会役員の肩書をお持ちの当倶楽部 康乗克之先輩(昭58商)もご一緒で、分かりやすくかつ熱い解説を聞きながらの試合観戦となりました。

試合は、雨や寒さを忘れさせる熱いものとなりました。長崎代表の長崎北陽台を相手に、前半6分と29分に塾高がモールを押し込みトライ。前半を12-0で折り返し、流れは塾高と思いきや、後半5分に長崎北陽台がトライ。後半14分にはトライとゴールキックを決められ12-12の同点に。そして、終了まで残り4分の後半26分にはペナルティゴールを決められ12-15と逆転されてしまいました。内心このまま終わってしまうのかという心配もよそに、シード校の意地を見せた塾高は、ペナルティゴールで同点に出来るチャンスがあったものの、ペナルティゴールを選択せず、逆転トライをとりに攻め続けました。そして、何と終了間際の後半30分、塾高はモールを押し込み、トライを奪い逆転。ゴールははずしたものの、そのままノーサイドとなり劇的な逆転勝利を手にしました。この試合では、同点に終わった場合、抽選で勝者を決めるルールとのこと。自分たちの力を信じ、あくまでも自分たちの力で勝利をつかみにいった姿勢の勝利だと思いました。試合終了後にお見かけした清家塾長の笑顔も印象的でした。

ノーサイドの笛のなった時には雨もあがり、試合中のみに使った濡れた傘を持って帰路につきましたが、寒いながらもその寒さを感じさせない熱い時間を過ごすことの出来た一日でした。元旦に行われた東京第二代表の国学院久我山との第三回戦は、善戦むなしく0-21で敗れましたが、是非、また花園に塾高蹴球部の姿を見せてもらいたいと思います。そして、2019年日本で開催されるラグビーW杯日本大会のグランドでも塾高蹴球部出身者の姿を見れることを祈念してやみません。

≪ボーイスカウト活動≫

松尾 茂樹(昭60商)

私は、6年程前からボーイスカウトのリーダーをしております。私自信は子供の頃には所属しておりませんでしたし、アウトドア的な活動は全くしておりませんでした。

近年は我々が子供の頃と違い、近くの野原や池や川で駆けずり回って遊ぶことがなくなり、家の中でゲームしてばかりですので、上の子供が男の子ということもあり、ボーイスカウトに入隊させました。1年間近く私はノータッチだったのですが、子供達の面倒をみるリーダーが不足しているので手伝って欲しいとの要請があり、当初は私自身煩わしいし、未経験でしたのでお断りしておりました。しかし子供が世話になっているのに全く顔も出さないのもどうかと思い、一度見学に行きました。

そうすると、家ではムスッとしている息子が楽しそうに年上のお兄ちゃん達と走り回っており、リーダーの人達も子供達(スカウト達)と一緒になって遊んでいる光景を見て、何ともいえぬ刺激を受けました。その当時の隊長が大変温和な方だったこともあり、非常に心から温かく、安らいだ気持ちになり、子供の頃の懐かしい感情が溢れて来たのでした。それ以来かれこれ6年程リーダーを続けております。

不思議に思われた方もいらっしゃったかと思いますが、先日のクリスマス会の際に参加されていた小池ファミリーの上の娘さんがこの9月より入隊してくれており、何度か一緒に遊んでいたこともあり、当日は隣の席に座って楽しく過ごさせていただきました。

ボーイスカウトは100年程前にイギリスで発祥し、次第に人種や宗教の壁も越えてアフリカなどの新興国やイスラム圏などにも全世界に広がり、200を超える国と地域で組織され、参加人口は2,800万人を超えるそうです。

ガールスカウトも元々の発祥は同じですが、ボーイスカウトも近年は女の子を受け入れています。実際、私の娘も所属しており、全体でも女の子の割合がかなり増えています。 

欧米の発祥の為、9月から新年度となるのですが、年齢によって区分けがあります。

・ビーバースカウト
  小学校入学前の9月から小学2年生の8月まで
・カブスカウト
小学2年生の9月から小学5年生の8月まで
・ボーイスカウト    
小学5年生の9月から中学3年生の8月まで
・ベンチャースカウト  
中学3年生の9月から20未満まで
・ローバースカウト   
高校3年生の9月(18歳以上)から25歳まで

ローバースカウト以上は指導者にもなれ、一生続けている方も大勢おられます。
“そなえよつねに”というモットーのもと、“ちかい”や“おきて”に沿っての活動です。

全世界のスカウトが集まる世界ジャンボリーや、日本全国のスカウトが集まる日本ジャンボリーが4年に1度行われます。今年はその日本ジャンボリーが静岡県の朝霧高原で開催されました。約2万人が集い、皇太子殿下の開会宣言で始まりました。息子も参加したのですが、行きのバスの車中1泊を含めて9泊10日で、現地はすべてテントで寝泊まりし、支給された食材で食事を作って食べるのです。さすがに私には無理です。でも参加した者には貴重な体験になったと思います。

リーダーの役目はスカウト活動が円滑に滞りなく運営するお手伝いでボランティア的な活動です。(実際は登録費や活動費も必要です)。土曜日は月2回程夜に運営会議が開催され、実際の活動は概ね月2~3回しております。

いくばくかの費用と拘束時間はかなりありますが、日頃の仕事上での、景気が悪く暗くて悶々とした環境から解放され、心のリフレッシュになっております。言うことを聞かないスカウトもいますが、スカウト達と一緒になって童心に帰り、たまにはキャンプしたり、飯盒炊飯したり、ハイキングしたりと自然の中で活動するのもいいものですよ。

年末はスカウト達と夜警回りをします。我が団はお寺に支援頂いていますので、大晦日は除夜の鐘を搗き、元旦は高台の公園まで登って初日の出を拝んでから、お寺に戻って住職様の法話を拝聴し、新年をスタートする予定です。

皆様には今年もいろいろとお世話になり誠にありがとうございました。
来年も引き続きまして宜しくお願い致します。
皆様方もよい新年をお迎え下さい。

≪趣味の写真≫

田嶋 紀雄(昭38工)

65歳で定年を迎えた。

関西国際大学の依頼を受け、企業生活で得た経験を社会還元するつもりで2年間講義を行なったが、以降は公的な仕事からは殆ど引退をして肩書きのない世界に入った。

毎日が日曜日状態になり、いくつまで生きられるか分からないが、個人としての人生が始まった。どういう人生を送るのがよいだろうかと思い巡らせるようになった。

結局は「他の人々の邪魔をせず、迷惑をかけず、自らの最善を尽くして一生を充実させる」という「独立自尊」の基本を個人として謙虚に受け容れる事に思い到った。どれだけ出来るかわからないが出来るだけ近づければそれで良い。そして、充実感の持てるものとして私が選んだのが写真であった。

退職をして企業活動では出来なかった個人としての作品創り「創作」を自分でやってみたくなった。然し、ただ単に好きな事をやるのではなくて、歳を取っても成長できることを考えた。そして5年間色々な写真を撮ってきた。兵庫倶楽部の「写友会」に所属し年に2回展示会に出展し色々な人のご批判を頂いたが今一つ充実感がえられない。上手く撮った積りでも写真自体が自己満足の域から抜け出せない。人に感動を与えない製品が売れないのと同じように感動を与えない写真は評価されない。頭を打った。やはり基本的な知識とセンスが要ることを思い知った。

そんな時、講師付きで作品研究会を伴う撮影旅行があるのを知り、これに何度か参加してみた。撮影の機会とプロのアドバイスの機会が増えた。撮影時のプロのアドバイスや研究会での作品、同行の他の人たちの作品の中に色々な見方や、光と写真の関係の常識のあることを発見し、新たに見えてくる部分が出てきた。

撮影旅行自体も結構楽しめる。グルメや観光の旅行ではなく、写真を撮りに行く旅行であるから時間配分も不規則で、朝早く暗闇の中で集合出発し、カメラをセットし、朝日の昇るのを待つとか、雲がいい位置に来るのを待つとか、雨の中でも霧にかすんだのが良くて写真日和だとか結構変わった旅行になる。ゴルフよりも歩き回るので健康にもよい。撮影スポットは限られるから譲り合って撮るとか、3脚で一般の人の邪魔にならないようにするとか気配りも要る。

最近、回りの評価も少し上昇して来たようで自分の感性がまだ発展途上であると感じるこの頃である。また、基本から勉強しなおしてみようと思い、創作写真塾という写真通信講座を受け、丁度新入社員のような気持ちで新たな勉強に取組んでいる。もっといい写真を撮りたいという気持ちがある限り趣味として長続きできそうである。

現在は兵庫倶楽部の「写友会写真展」と写真の早慶戦という「早慶展」を発表の場として作品を見ていただこうと思っている。神戸慶応倶楽部の人たちにも楽しんでもらえる作品が出展できればと思う。